家族愛と距離感。

 元日の午後、県都の義妹宅を挨拶のため訪問した。
 来年には大学受験生となる姪はもう背丈が俺とほぼ同じくらいにまで伸び、表情にもほんの数年前までのような幼さは感じられない。しかし愛犬と一緒になって我々の訪問を相変わらず歓迎してくれる。
 姪の進学先については義妹夫婦の意見は分かれているらしい。義妹は国内の大学を勧めているが、義弟と姪自身は義弟の母国の大学に進学して、そのまま現地で就職してもよいと考えているようだ。
 幸い、義妹夫婦に彼らの足を縛るような家や土地への無意味な執着はない。経済的な問題さえなければ、本人たちが望むどこででも生きていい。
 
 その夜はそのまま宿泊させてもらった。対価と言っては何だが、義弟からDVテープをWindows10環境のPCで動画ファイルへエンコードする際の不具合について相談されたので解決を手伝った。映像中に動きがあると前コマと次コマの間でインターレースの欠落が起きる。原因は単純で、PCで使用していたエンコーダ上でアナログ映像取り込み用のテレビ放送方式にNTSCではなくPALを指定していたためだった。
 解決した後、俺はいつものように深夜の街に繰り出して、帰宅したのは未明だった。
  
 翌日起床したのは正午過ぎで、リビングに行くと義妹一家が昨夜エンコードしたばかりのビデオを観ていた。10年前、小学生になると同時に義弟の仕事のため渡英した姪が、現地の小学校の学芸会でダンスを披露しているシーンだった。
 たった10年。
 
 義妹の希望で妻がもう一泊することになった。俺はN氏と合流して、彼の行きつけの喫茶店で閉店まで話し込んでいた。
 今は新居で両親と同居しているN氏は、自分の行動に両親が干渉してくるのが煩わしいとこぼす。例えば今夜も、こんな遅い時刻に何の用件で出掛けるのか、行かずに休んでいろとまるで中高生のようなやり取りがあったという。
 N氏の場合はやむを得ない理由があったのだが、俺は同居話が決定するまで相談されるたびに当面は別居するよう勧めていた。両親とも健在な内に同居などするものではない。
 大抵は子離れより親離れのほうが早いのだ。