東京出張。

 この春に転職後初の異動となった。
 新しい業務は前職で若い頃に少し携わったのとよく似た内容なのだが、取り扱いメニューが多いため覚えるのに苦労しそうだ。
 今回も指導してくれる上司はいるが、その上司も経験が少ないので具体的な内容は前年からいる若手に聞いてほしいとのこと。その若手I君は俺と同様に同業他社からの転職組だが、人間としてのスキルは周囲を圧倒しており直属の上司だけでなく周囲の管理職からも頼りにされている存在だ。
 
 さて、上司から東京本社で開催される連絡会議に出席するよう指示された。本来は上司とI君が出席する予定だったが、全国から集まる関係者に挨拶する機会なのでと上司が席を譲ってくれたのだった。
 出張の事務手続きはI君がさっさと済ませてくれ、金曜の朝の新幹線に乗って東京へ向かった。
 東京駅から地下鉄を数本乗り継いでたどり着いた我が本社は、周辺に立ち並ぶ同業他社の社屋が真新しいのと対象的に、ウワサに聞く通りの古めかしさだった。
 社員だというのに入構許可手続きを求められる。警備スタッフに会議室がどこか尋ねると、地下のどこかだという。階段を降りると暗い通路がひたすら続く広い地下フロアだったがどこにも部屋名が書かれていない。通りかかった社員に聞くこと数回、やっと目的の会議室に入室できた。定刻より1分遅れだった。
 
 会議の昼休憩中、今月本社に異動していた同期のS君に連絡を取って今来ていることを伝えると、社内で昼食を取ろうという。集合場所に指定された地下フロアの社員食堂に行ってみると、そのあたりは見違えるような明るい雰囲気だった。
 日替わりの、学校給食前とした魚の生臭さも残るあまり美味しくはないシーフード定食を食べながらS君と近況について話す。昨年まで俺がお世話になった前部門の課長も今本社内にいるそうだが、今日は多忙で挨拶に行ける様子ではないとのこと。
 そのまま、今日の定時後に飲みに行く約束をした。会議室に戻ってI君も誘ったが、既に学生時代の友人と会う約束をしたとのことだった。
 

 会議が終わり、このまま直帰扱いになるのでI君と本社前で別れ、都内を散策しながら時間を潰すことにした。間近の霞が関駅で降り、皇居の桜田門前広場から警視庁のあの有名なビル角を撮影してHさんにLINEした。コナン好きなHさんからすぐに「平日に聖地巡りかおめでてぇな」と罵声が帰って来る。
 次に渋谷に行きSHIBUYA SKYに登ろうとしたが当日券は早々に売り切れだった。交差点に戻りミリオタに有名な大盛堂書店に行こうとしたところで、I君から友達と合う前の少しの時間だけで良ければ同席させてほしいとの連絡が来た。もちろん喜んで、と返信したが、イケメンで遊びなれた風のI君が納得するような店を俺は知らない。逆にI君にいい店がないかと尋ねると「Gungunmeteoさんが帰る時間を考えると東京駅内の店か、東京駅前の新丸の内ビルのバーならさっと入って飲み食いできる」との情報提供があり、そこで待ち合わせることとした。
 外国人客ばかりの店内で、東京駅の明かりを見つつビールをすすりながら3人で話す。300mlほどで900円のやや高い一杯。
 I君はS君と直接面識はなかったそうだが、昨年まで結構職場内で目立っていたS君について噂は聞いていたようで、本人は噂よりも面白い人物だと楽しげだった。I君も同業他社からの転職組で、前職では関連会社への出向で東京勤務していた時期があったそうで都内には土地勘があるという。彼女がほしいと言うS君へ東京のナンパスポットを教えていた。
 友達から催促を受けたI君が先に店を出て、残った我々は社宅で同年代の同僚と共同生活をしているというS君の門限まで粘ることにしてそのまま飲み続けた。
 結構グダグダになった頃、社内の同期の女子会に出席しているHさんから参加者一同の集合写真がLINEで送られてきた。同期から、社内でも有能と評判の独身男性A君を紹介されているらしい。
 以前、明らかにHさんに関心があったこともあるS君にそれを見せたところ「やっぱりA君かー!以前からお似合いだって言われてましたもんね!クソー!」と子供のように悔しがった。S君はA君と広報動画の作成チームで一緒に活動していたのでA君の有能さをよく理解しているのだ。
 グラスをつかんだままテーブルに顔を伏せる彼にBBKEY2を持たせたまま、俺はビールのお替りを受け取りにカウンターに行った。黒ビールが注がれたグラスを持って席に戻ると、S君はBBKEY2を返しながら「すいませんついメッセージ撃っちゃいました」とつぶやいた。
 ディスプレイを見ると、A君のことを誰から紹介されたのかなどと立ち入った繰り言が書かれていて、しかも既読が付いていた。
 「お前やりやがったな!セクハラやんか!」と怒ったがもうどうしようもない。事情を説明するため、3人の集合写真と共にS君の仕業だと謝罪文を書いて送った。

 そうこうしているうちに時計を見ると20:30になっていた。S君の門限であると同時に俺の帰りの新幹線が間もなく出発してしまう。
 S君と再会を約して東京駅に走って戻り、慌ててお土産を(Hさん達へのお詫びの印のお菓子も)買って新幹線のホームに文字通り駆け込んだ。

 窓側の指定席に向かうと通路側席に先客が着席していた。
 俺と同年代くらいに見える女性だった。謝りながら通してもらい、車内で聴きながら眠るためにヘッドホンを取り出した。
 「…お仕事ですか?」
 その女性から声を掛けられた。
 女性の方は仕事で出張というよりはプライベートの旅行の様子で、持ち込んだお土産の中でも特に大事らしいお菓子の箱をテーブルに置いていた。
 「東京駅でギリギリまでお土産集めてて。娘からリクエスト受けたお菓子をやっと見つけて買ってきたんです」
 「そうでしたか。東京駅もショップが何箇所かに分かれてて、時間ない時に全部回るの大変ですよね」
 「ホントに!。でも新幹線て便利ですよね。私今回初めて新幹線で東京から日帰りできるの知ってびっくりして」
 「片道2時間ちょっとですからね。朝は6時発だからまあいいけど、最終はできれば22時とか23時になってくれればもう少し都内での活動時間増えていいんですけどね」
 「そうそう。私…推し活に来てたんですけど、この新幹線が帰りの最終便だから閉幕前に席を立たないといけなくて」
 「それは残念でしたね」
 何かのアーティストのライブだろうか。一瞬考えようとした俺の表情を見た女性は「ショーなんですけど、ちょっと寒いところで」とヒントを出してきた。
 推し活の対象になるアイドルがいて、夜の演目があって、寒い場所で、となるとフィギュアスケート、おそらく推しは羽生結弦というところか。
 そう推理を述べた俺の目を見て女性は笑顔で「羽生くんも有名ですけどね。残念」と笑った。
 女性の推しは高橋大輔だった。近年はアイスダンスに転向して今夜もペアで競技会に出場したが、彼の推し活仲間とともに彼が現役続行するか毎シーズン心配しているという。
 その後、女性はフィギュアスケートについて素人の俺に様々な技やトリビアを教えてくれた。荒川静香の演技で有名になったイナバウアーが実は上半身を反らした姿勢ではなく、同時に行っているシューズの刃先を左右で180度開いた滑走技術を指しているというのは、恐らく彼女から聞かなければ誤解したままの知識だった。
 推し活中の生き生きしたヲタクの話を聞くのはやはり楽しい。
 気が付けば2時間の乗車時間はあっという間に過ぎ去り終着駅だったのだ。