正直な。

 今週の初め、ウチの係のI君がある専門病院へ一泊入院した。
 この手術はかなり簡単なもので、手術後には感染症の有無を確認するため大事を取って一晩だけ入院するが、殆どの場合は早朝検査して異常がなければ朝食前には退院でき、翌日には普通の生活に戻れる。
 今回の手術もすぐに済ませたかったらしく、22日に手術を受け、23日の天皇誕生日を挟んで24日には復帰という入院計画を立てて報告してきた。
 ボスも昔同じ手術を受けたことがあって、入院前のI君へいろいろとアドバイスを授けていた。しかしその一方でボスは本人には直接言わないものの「交通事故でもあるまいし、計画が立てられるくらいなら事前に職場に相談して上司の意見も聞くべきだ」と俺に言う。
 今回の入院は専門病院側の医師と入院日の調整を終えてからの事後報告だったためだが、 誤解のないように言うとこれはもちろん冷淡というわけではなく、中間管理職としてそれくらいの情報集約と調整もしなくてはいけないという指導だ。そしてI君に対しても、今回の入院以前から些細なことで簡単にまた突発的に仕事を休むことが多いとして、社会人としてもう少し職場内の業務を見て判断させるよう指導を求められた。
 I君は小さい頃から大病を繰り返し、慢性疾患もあるためか本人も家族も健康には注意を払っており、体調の変化には非常に敏感なところがある。自分の体調管理は最終的には自分自身が責任を負うのだからそれは良いことだが、いくつか気がかりな点がある。
 一つは常に体調を表情や態度に表してしまうことだ。感冒で発熱や咽頭痛を訴えても、大人なら受診し治療を受けるまでは市販薬を飲むなどして少しくらい我慢して見せることもできるはずだが、彼は黙り込んだり明らかにイライラするなどして周囲の同僚達に気を遣わせる。
 もう一つはそれが自分の趣味や余暇での疲労や寝不足による体調不良でも変わらないことだ。彼が重度のゲーマーとして、また某動画配信サイトでも有名人であることは彼自身がいつも周囲に話して聞かせていることであるが、彼は「昨日配信が盛り上がって寝れなくて」「新作ゲームの攻略でトップ勢になれたんで時間が足りなくて」などと正直に喋ってしまうのだ。そのためか恐らくは本当に体調が悪いと思われる時でも「またゲームで徹夜して…」と受け取られてしまうことが多い。
 
 さて23日の夜、検査室での漏水事故の最中にI君がLINEメッセージを送ってきた。想像以上に傷口に腫れがあり痛みも残っているので、さらにもう一日休みたい…という。
 この漏水事故で院内のシステムに障害が残った恐れもあり、明日の診療始業前の早い時刻から手分けして各部門でシステム起動時の立会いを行う必要があると考えたので、強制ではないがなるべく出勤するよう回答した。I君からの回答は残念ながら出勤できないとのことだった。
 ボスに報告すると、彼の健康に関する不安心理に対して配慮すれば翌日からの出勤もやむなしだろうとしながらも、手術の内容からして本来ならば退院日の午後には痛みを我慢すれば普通に仕事に就けるもので、それを実質丸2日休養に充てるというのはかなり特別な事例であり通常の社会人の基準ならば甘えに過ぎず、それを許容するような姿勢でいることで彼の態度が改善していないのではないかと指摘された。
 
 そして25日の朝。早番の俺が再来受付機前で来院患者の列をさばき終えて、ややぐったりしながら新たな患者さん達をお出迎えしているところへボスが声をかけてきた。
 ボスとI君が相次いで出勤してきた際に、先にオフィスへ入室していたボスが後からやってきたI君に挨拶し具合を尋ねたがI君が無視。ボスからその態度を注意されたI君が一言「話したくありません」と返してきたという。
 「私本当にあったまに来て、もうどうしてやろうかと思ったけど…就職してからもう何年も経つのに本当に学生気分が抜けてなくて困ったわ」
 …普段のボスなら怒鳴り散らしてもおかしくないが、ぐっと堪えて言葉を選んできたところ「お前が指導するところを見せてもらおう」と言外に伝わってくる。
 ボスはその一日、朝の一件がなかったかのように振る舞い、他の者たちと同様にI君にも世間話を振ったりして大人の対応を見せていたが、I君の方はボスに対してのみむっつり黙り込んだままだった。
 
 ボスとI君のギクシャクした様子を見てOさんが何事かと尋ねてきた。事訳を聞かせて様子を見るよう頼むと、Oさんはふと思い付いたように言った。
 「I君、きっと今年分の有給を自分の趣味に使い切る計画立ててるんじゃないかと思うんです。だから、予定外に有休使えって言われて怒ったんじゃないかと」
 「どうしてそう思う?」
 「係長、I君の今までの有休取得ペース見てないんですか?3月いっぱいまでで後3日分くらいしか残してないはずですよ」
 俺が手帳に記録していた彼の休暇状況は、ややOさんの見立てが過大評価のきらいはあるがそう外れていないことを示していた。
 「私なんて普段もサービス残業ばっかりでもうやってられないんですけどねぇ。あ、まぁ今更言っても変わらないんでいいですけど」
 チクリと嫌味を挟んでくるところが中々憎らしいが、今年中に彼女の業務負荷を変えられなかったのは確かに俺の力不足ではある…。
 
 終業後、いつも最初に帰宅していくI君を廊下で捕まえて事情を尋ねた。
 22日の病休についてボスに申請手続きをしたところ、まずそのような余裕がある入院なら職場に相談すべきで、またその程度の内容で病休なんて認められない、有休を使うようにとの指導を受けたという。結局休むこと自体は認められたわけだが、休んでいる間にボスが職場内でI君に関して悪く言っていたのではないかと考え、また朝のボスの口調から実際そうであったろうという雰囲気を感じ取ったことが態度に出ていたかもしれない、と彼は言った。
 「あの人、大抵そうやって相手がいないところで陰口使って滅茶苦茶に攻撃してるじゃないですか」
 その「相手」が普段は誰なのか考えたくはないが、少なくとも今は彼の予感が的中していることを認めるわけにはいかない。
 俺はさらりと嘘をついた。
 「そんな事はない。みんな手術が無事終わるかと心配していたからな」
 I君が信じたかどうかは疑わしい。
 「具合の悪いのを隠せとは言わないし体調管理のため休むのを認めないわけじゃない。ただ、職場には仕事に来ていて俺を含め上司はお前が仕事をこなすことを期待しているのだから、普段からプライベートの影響を仕事に持ち込んでいると言うのは止めておけ。そのせいで周囲の連中が感じるお前の休みの閾値が下がり過ぎて、今回のように休みが必要になっても誰も認めてくれなくなるんじゃないか?。それに、体調と機嫌は別物だ。体調が悪いのを示せば周りが手当するのは当然だが、機嫌が悪いのを示して周りに何かを期待するのは家の中でだけ通用するものだろう」
 
 恐らく、I君は理解してくれたものと思うが…年明けからどれくらいそれが彼の行動に反映されてくるものか。