決行。

 先日から朝出勤した時には必ずI君の様子を見るようにしている。
 気分の波が態度に出やすい彼は患者対応にも影響があるので普段からボスも気にかけているのだが、もちろん先日からの一件で何か状況が悪い方向へ進んでいないか俺自身が気にしてしまっているのだ。
 今日は、元気なような感じられた。
 本当に元気だ。機嫌は良さそうに思われた。
 
 昼休みに入る少し前くらいか、隣合わせに座るMさんとY君が何やらこそこそと話し込んだりしているのに気が付いた。
 「嫌ですよ。ありえなく無いですか」
 Mさんの言葉が耳に入ってきた。
 もしかすると。
 Y君の端末にメッセージを送る。「時限爆弾が爆発したのか?」
 即座に返信があった。「どっかーん」

 昼食のためにI君が離席したところで、Mさんがぶちまけた。
 「昨日の深夜に、LINEで何か送ってきて…読んだらすごいこと書いてあるし、その後すぐ電話は着拒して、LINEは既読つかないようにして読んでるんですけど」
 「返事はしたのか?」
 「嫌です返事なんて!こんなのどうすればいいんですか〜あり得ないし…」
 Mさんは本当に困っているというか、拒絶する意思しかなかった。
 もちろん我々がその当初からI君の相談に乗っていたことはMさんには隠していたから、俺はまるで初耳という顔で彼女の言葉を聞いていた。
 拒絶から段々と怒りに感情がシフトし始めたので、業務中だし人目もあるので、個人的な問題に留めるつもりがないならボスに後で報告しておくように指導する。またY君には聞いた内容をすぐボスに報告するよう依頼。
 その後の業務には少なからず影響が出た。
 I君自身は告白を済ませたことで気分が晴れたためか今日は極端にやる気が出ており、本来今日行う必要がない作業を前倒しで始めようとして関係者を混乱させてしまう。逆にMさんはI君への態度が冷たくなって、I君が話しかけても「別に」「わかりません」「必要ないです」とひどく口が重くなり、Y君が言葉遣いを注意する。
 
 終業後、一足早くI君が帰宅した。
 その途端、大きなため息を付いてデスクに突っ伏すMさん。
 「まぁ、よく耐えたよ。でもあんなに極端に冷たくするのは駄目だろ」
 「何言ってんですか、話しかけてくるのホント気持ち悪いしどっか行ってーってずっと思ってました」
 Y君の言葉に真っ青な顔で言い返すMさん。
 今回の件を全く知らないOさんも、何事かが起きていることを察した様子だが、特に話には加わってこない。
 今夜からレセプト残業が始まり、人の出入りが激しい医事係のオフィス。ボスは事情を聞くため、Mさんを連れて別室へ向かった。
 俺はOさんと二人でそのまま残業を始めた。恐らくOさんは今日のこの室内のおかしな空気について俺を問い糺したいと思っているはずだが、今何かを聞かれても俺から説明してやれることはない。またOさんも実際に尋ねてくることはなく、静かに時間が過ぎていた。
 俺のIS11TからLINE着信音が聞こえた。見るとMさんから「別室に来てください」との連絡だ。送信先を見てぎょっとした。医事係でOさん以外のスマートフォンを運用している全員が参加したグループへの送信だった。I君にも届いているのは間違いない。どういう意味だ?。
 Oさんがじろりと俺を睨みつけるが、俺はトイレにでも行くような素振りでオフィスを出て、呼び出し先の別室へ向かった。
 
 部屋に入ると、ボスとMさん、そしてY君がいた。
 「Gungunmeteoさん、ホントにこれどうすればいいですか?」
 Mさんが愛用のiPhoneを見せる。そこにはI君から届いたLINEのメッセージが表示されていた。
 彼なりに考えて書き連ねた言葉だったが、残念ながら予想通り、彼女に受け止められることはなかったのだ。
 「お前、グループに送信しただろ?I君に届いたのはどうしたんだ?」
 「すぐ『間違えました・なんでもないです』って追加しました」
 
 先に話を聞いていたボスは、彼女に無視せず返信することを薦めた。
 ただし、返信内容はボスが事前検閲し、問題がないか4人で推敲した後に送信することになった。
 結局我々が恐れているのは、I君の告白によるMさんへの影響ではない。その結果、I君自身が受ける衝撃とその反応だ。
 曲がりなりにも我々は同じ職場で働く社会人だ。個人的な問題で悩んだり苦しんだりすることがあっても、職場に関わりないことであれば自分自身で解決し、その影響を職場に持ち込まないようにするのが当然だが、もちろん往々にしてそううまくは行かないものだ。特に人格的にはまだひどく未熟なI君にそれを求めることは困難だと分かっているから、どうにかして状況が悪化しないようボスも配慮し続けてきた。Mさんには最近のI君との関係について問題が起きていないかこまめに面談していたし、俺やY君にもI君との距離を詰めて話を聞くよう指示してきた。
 そういう意味で、職場的な目線ではI君がMさんを諦め、告白にまで至らないことが理想的な着地点だった。
多少関係がぎこちなくなってもMさんは自分でどうにでも対応してしまうが、I君はどうなるか。
 皆、I君に不安を感じているのだ。

 返信文はあまり重くならないよう、I君からMさんへ送られていた他のメッセージへの返信のついでという形をとることとされた。というのは係内は誰も知らなかったが、仕事やプライベートに関して少し前から多数のメッセージがI君からMさんへ送られていることがこの席上でMさんから明らかにされ、また告白メッセージの後も何通か届いていたのだった。直接応えるよりは何かをクッションにした方が、読む際のショックは少ないだろうとのY君のアドバイスだった。
 また断ることについて謝罪してはならないとボス。I君がこれまでに我々に語ってきた女性関係のエピソードからして、こちらに非があるような素振りを見せると関係破綻の責任を全て押し付けて来る恐れがあると言う。
 それをMさんなりの言葉に書き換えて、何度も読み直し、送信した。
 すぐ既読サインが付いた。そのことにすら、Mさんは「絶対待ってたんですよ!キモい!嫌になってくる」と言う。そこまで嫌わなくてもいいじゃないかとたしなめると「もう生理的に無理です!ムリムリムリムリ!」と首を振った。
 返信は意外に遅かったが、10分ほどで届いた。
 本当に簡潔で、きっぱりとした一言だった。
 「わかった・ありがとう」
 
 ボスとY君はI君が院内のどこかに残っていてこちらの様子を窺っているのではと危惧したので「そんなわけあるか」と言いながらも俺が部屋から出て様子を見ることになった。
 照明が落ちて暗い院内にI君の姿はなかった。
 
 医事係に戻ると、ボスがOさんに事情の説明をするため再び別室に向かった。
 デスクに付いて間もなく再びIS11TにLINE着信があった。I君からの報告で、結果は残念だったが告白できて気持ちが軽くなったとの前向きな言葉が記されていた。
 続けて、今日は友達に慰めてもらうべくあのバーで飲んできます!と続報が届く。
 Y君にも同様に報告が届いた。その内容から、危惧していたような悪い結果にはならないと感じ安心する我々。
 
 間もなく、I君のLINEプロフィール画像が、彼と友達の3人で歌う画像に変更された。
 小さな画像だが、I君の表情に陰りはなかった。