夜の街路で。

 N氏の誘いで片町で飲むことになった。
 連絡がつく学生時代の友達を誘おうと言ったのだが、サシでやりたいと彼は言う。
 
 レセプト業務の都合で県都に着くのが遅くなった事に文句を言われ、言い返しながらタクシーに乗る。
 スクランブル交差点で降りると、週末の片町はさすがの活気だった。
 しばらくその喧騒の中を、ポケットに手を突っ込んだまま二人で歩く。
 秋も深まり夜の空気は冷たくなっているが、煌々とした店の灯りには熱がある。
 
 昔、この男と出会った頃、お互いの話題はゲームやパソコン、バイトのシフトのことばかりだった。
 就職活動中はバブル崩壊に出くわした自分たちのツキのなさを嘆いていた。
 社会人になってからしばらくは、冷め切らない青春の続きを楽しんでいた。
 ある程度職責が出てきてからは上司や若手とのコミュニケーション上の愚痴が増えた。
 最近は、自分達が年齢相応の人生を過ごせているのかどうか、まるでお互いに確認しあっているような話が多い。
 
 入る店は何も決めていなかったから、俺のリクエストで流行りのいわゆる「水産系」の居酒屋に行き4時間程過ごした。
 N氏はつい先日も先輩と来た店だったらしいが、水産系のくせに刺し身は不味く、口直しに頼んだ鶏の唐揚げは皮ばかりだった。
 渋い顔をした俺を見て、チェーン店だから料理なんか期待するな、とN氏は笑う。
 初めこそお互いの仕事の愚痴が続いたが、グラスを何度か空にした頃、彼が他の誰も誘わなかった理由が分かった。そういう話ではなかったのだ。
 
 日付が変わる頃にはまた路地をうろついていた。飲み足りない気はするが、若い者ばかりがギャンギャン騒いでいる店になんか行きたくない。
 どこか馴染みの店はないのかと問うと、N氏は通りの外れにある一棟のビルに俺を連れ込んだ。
 エレベータで上階に上がってある店のドアを開けると、そこがN氏の秘密の隠れ家だったというわけだ…。
 若い女の子なんかいないが、窓越しに片町の通りの夜景を眺めながら静かに飲める、いい店だった。

 
 午前2時頃だったか、N氏にも疲れが見えてきた。N氏と仲の良い女の子のお喋りの腰を折るのも悪い気がしたが、N氏は夜明けにはまた仕事がある。
 その店のママに見送られながら店を出た。
 ここからN氏のアパートまでは歩いて30分程だ。夜道を散歩したかった俺はタクシーに乗りたがるN氏を無視して歩き出す。しようがない野郎だな、という表情でN氏も散歩に付き合ってくれた。
 昔講義明けによく自転車で通った道を辿って10数年ぶりに歩いたが、当時の面影はあまり残っていなかった。
 通りの角の小さなお好み焼き屋は廃業していて、ガラス戸には管財人からの張り紙が貼られていた。
 その少し先の写真屋もどうやら営業しているようには見えなかった。JRの高架下にあった小さな模型屋もなくなっていた。
 こうして歩かなければ気づきもしなかった。
 昔の思い出の痕跡は少しずつ消えていく。