対話の緒は。

 I君、K君と小料理屋で一杯やった。I君は今年から広報誌作成に専念しているはずだったのだが、現在のボスが自分の仕事をしないせいでその穴埋めにも走り回らされ、なおかつ愚痴をこぼす場所もない様子だった。
 I君のボスである女性は若い頃から色々と人間関係でトラブルを起こし続けてきた人物で、田舎に暮らすのが嫌だからと県都にある夫の持ち家に毎週末「帰宅」する生活だそうだ。ボスと言いながらも実質的にはもう少し上級職との兼務になるのだが、非常時の緊急呼集に対応できないので兼務扱いから上には行けないだろう、とのI君の見立て。
 I君と、彼の後輩であるS君ともあまり上手く行っていない様子だった。S君はマイペースで物静か、問題があれば解決よりも手段にこだわる性格に思える。手段が未熟でも適切な時期に解決さえすればよいと考えるI君からすると歯がゆいところだろう。仕事上でもあまり会話がないという。酒に強いI君だから呑みに連れ出せばどうかと言うと、話しかければ返事をするが黙っていれば終日会話がない相手とサシで呑んでも…と戸惑っている。
 では、今俺が呼んでいるから付き合いに来いと連絡して見るように言うと、呼び出しだけしてスマホを俺に寄越してきた。俺が彼と喋りたいから呼んだのだと言うが、あまり出てきてほしくない相手だったのかもしれない。
 そのS君は遅い時刻にも関わらず素直に店にやってきた。ちょうど料理も食べ終わる頃だったので次の店に予約を入れ場所を改めて仕切り直し。
 そこは俺が初めて行くラウンジだったが、ママも従業員も昔Nさんに連れられて通っていた別の店のままだった。居抜きで移転したのだそうで、知った顔ばかりで安心した。
 しかしS君はやはり話しかければ返事をするが、そうでなければ黙ったままで会話の糸口が見えにくい。I君は手勢を増やそうとTさんも新たに呼び出した。TさんもあまりS君とは話さないようで状況は変わらず。
 S君に趣味は?と尋ねると、何と登山だという。この数年の間に始めたのだというが、S君以外は登山の知識は全くない。またS君もそれ以上自分から語ろうとせず会話は終了。カラオケ何オーダする?と聞くと「え〜、あの、その…」と歯切れが悪い。自分が何だかノミニュケーションを共用する嫌な先輩みたいに思えてきてそれ以上何を質問するのも辛くなってきた。俺自身も会話は不得意だから、同じように畳み掛けられる時の心情は痛感できる。
 しばらく鉄ヲタでカメラヲタのTさんとEOS 7D2と花咲くいろはのラッピング列車の話をして時間を稼ぐ。
 S君はIT系で業務時間外は職場の付き合いより個人優先、そしてアウトプット不足…と来れば俺の経験上ヲタクに近い位置にいる人物である可能性が高い。そう言えば以前、カラオケで残酷な天使のテーゼを歌っていたことがあったと思い出し、S君の水割りが一杯空になったところを見計らって魂のルフランを勝手に店のカラオケにオーダしてI君と一緒にS君コールをやってみた。本当に嫌で歌詞も知らなければ歌わないだろうし、歌えば後はエヴァンゲリオン高橋洋子で押していけばいい。
 どう出るかとかたずを飲んで見ていると、マイクを持ってくれた!。何だよアニソン歌えるのかよと囃した直後、聞こえてきたのは全く別人の声。向こうのカウンターで歌い出したのは別課のM女史だった。他人のオーダ横取りするのは本当にやめて欲しい…。
 「蒼き炎」か「夜明け生まれ来る少女」を追加しようかと思いながら迷う。むしろ逆にS君が知っていた場合、こんな曲を歌わせようとするオッサンヲタきもいと嫌がられる恐れがある。
 では、どうしようか。
 「何?エヴァンゲリオンの歌を歌えるって、パチスロやんの?」
 「いえ、ちょっとはやるかもしれませんけど全然詳しくありません」
 「普段音楽ってどんなの聴いてるの?」
 「いや〜、あんまり聴かないって言うか…」
 「ああ、あれか、ボカロか」
 「ん?ん〜、え、いや、あの…」
 おや、ちょっと反応が違う。
 ちょうど横に付いた女の子が「え〜どのPのが好きなんですか〜?」とボカロの語に食いついてみせてくれた。
 S君は急所を突かれたようだ。
 「うん。じゃあ分かった。「千本桜」行ってみようか」
 「いや、あの、よく知らないんで無理です…」
 S君もキョドるが、実は俺だって初音ミクでは千本桜しか曲名を知らないのだ。トヨタAQUAのCM曲になったから知っているだけで、ぶっちゃけ、聴いたことがない…。
 女の子が早速オーダしてくれてS君に改めてマイクを押し付けると、何と普通に歌い出したではないか。
 音痴かも知れないが歌詞は正確。思った通りだ。
 
 俺は明日所用があるので、少し早いが0時頃に解散。
 I君はS君攻略の糸口を理解しただろうか。
 そういう問題じゃない?。