できる人とできない人と。

 終業直前。
 DPCデータの提出期限を来週に控えてエラーチェックに冷や汗をかいている俺の端末にZ君からメッセージが飛んできた。近場でいいから飲みに行こうとのお誘いだ。
 最近元気がない副院長も誘おうかと思ったが、来週うちのボス以下との飲み会が別にあるのを思い出してそちらで声をかけることにした。
 代わりにMさんとI君を連れて行こうとしたが、Mさんは先週の成人式の打ち上げで我々が行こうとしていた店に予約を入れているとのこと。Mさんが行かないのならI君も当然のように行かない。
 約束の時刻より少し遅れて店に向かうと、通り道にあるケーブルテレビ局のスタジオで局員に絡んでいるZ君を見つけた。局員のMさんやI氏も誘ったらしいのだが、来月の特番を控えて忙しいからと断られたところだった。
 男だけでもいいじゃないか、どうせ店を回っていれば知った顔と会うに決まっているのだから…と宥めて歩く。
 いつもの焼肉屋に上がってビールを頼むと、Z君が口を開いた。
 今日は彼のところの課長と上司、同僚が仕事の関係先との交流会を開いているのだそうだ。ところが彼はそのことを課長から何も聞かされておらず、上司であるT係長からそっと教えてもらったという。
 Z君とその課長は昔から全く馬が合っていなかった。課長は元々外部の組織出身で、人材交流と言えば聞こえはいいが向こうの組織で厄介者扱いされて体よく飛ばされてきた人だった。自分も前職では色々と関わりを持ったが何も決められず何もしない、そしていつも何かに困っているという、あまり自分の職域に入ってきてほしくない人物だと思っていた。
 人柄はいいのだ。腰は低く、何か仕事を頼みに来るときも「今時間いいでしょうか?手伝ってほしい事があるんです」とはるかに後輩の俺にも丁寧に話しかけてきてくれた。問題はその腰の低さがこの人自身の仕事への自信のなさから来ていることだった。
 その課ではこの数年非常に重要な業務が割り当てられており、出身組織とのパイプの強さやその業務ノウハウを求められての配属だったのだがどうにもうまくこなせていない。マスコミ対応や業務スケジュール配分で何度かトラブルを起こしていて、その都度尻拭いをしていたのが課長と同時期に異動してきたZ君と当時の係長だ。
 重要な業務をと言いながら、人手は課長以下3人しかいないのだから年がら年中毎晩残業させられていたように思う。システム保守でいつも遅くなるのが普通だった我々電算担当者より遅かった。だが残っているのはいつも係長とZ君だけ。帰りがけにふらりとお邪魔して数分だけ何してるの?と声をかけると、大抵は課長への愚痴が出てくるのだった。
 係長は働かない上司に愛想を尽かしながらもそこは年の功でとげとげしくならずうまくあしらうのだが、若く働き者で実質的にはその課の主力だったZ君は無能な課長が許せなかったようだ。何か課長から突拍子もない仕事を与えられるたびに、その非効率や不合理を突く。気が弱い課長はそれに反論したり指示を強制することはできず、徐々にZ君を煙たがるようになった。
 課長の定年退職も近付いてきた最近になって、課長の出身組織を始め関係先との連携強化が図られるようになったのはよかったが、今頃になって課長からの露骨なZ君外しが始まったという。今回の一件もそうなのだが、関係者からするとZ君がいなければ仕事が回らず、既にコネも課長よりもZ君の方が広く深い状況でZ君を排除して一体何の連携強化か?との声があるようだ。この春に異動して係長となったT先輩はこの二人の板挟みになりながらも、Z君の働きに見合う扱いを課長に求めて色々と動いているらしい。
 つまらないことをするものだ。扱いにくい部下とは言え自分の仕事が彼らの力で回っていたのなら、頭を下げて今後を託していけばいい。
 俺からすればZ君の不満は全く当然とは思うのだが、一方でどんな職場でもうまく付き合えない人間というものはいるものである。Z君の態度には課長に対する敵意も透けて見えていたように思うし、逆に軽蔑や敵意を明らかにされながら、利を取って寛大になれる人間はそう多くない。
 いずれにしろ課長は間もなくいなくなり、Z君もまた新しい上司のもので経験を積んでそのうち角が取れてくる。
 今夜は何を論ずることもなく彼の話を聞きながら、ただ焼いた肉を食う。
 
 ところで今夜のこの店の女将はえらく饒舌だった。普段からかしましく客を放っては置かない人なのだが、愚痴をこぼしたいZ君の前に割って入るように昨日はどんな客が来た、その前は誰それが来て久しぶりに話ができたと一向に止む気配がない。
 自分たちの会話に集中できず、そのうちZ君の表情が段々と不機嫌さを含んできた。こんな店で人払いなんぞできるわけもなかったが、一体どうしたというのか。
 少し話を聞いてみると、今年80歳となったのを機会に近々店を閉めるつもりだと言い出した。
 驚く我々。ずいぶん高齢だと思っていたがもう80か。ちなみにこの店は一体何年続けてきたのか尋ねるとちょうど50年経つという。
 50年…。一つの仕事を一つの場所でずっと続ける間には様々な苦労があっただろう。
 今の自分の仕事にそれほど真剣に取り組めるような覚悟や決意が持てるだろうか。
 普段は安いだの、混ぜ物だのと笑っているこの店のビールの味が普段と違う気がした。
 
 そんな風に年月に思いを馳せていると、ところで隣の座敷を見てよと女将が言う。そんなものがあったのかと二人で女将の後に付いて行くと、そこにはこの近隣でこれだけ客が収まる店もないのではというくらいの大きなサロンが出来ていた。最新の60インチテレビに通信カラオケ、何故かPS3まで備え付けられている。
 焼肉屋を閉めたらこっちでもう一儲けするつもりだから使ってよね、と女将が笑った。
 ああ…女将は百を回っても店に出ているだろうねぇ、とZ君と苦笑い。
 
 一旦焼き飯とラーメンで締めたつもりだったが、Z君は飲み足らず語り足らない風だったのでまた別の店を探して氷点下の街路に出た。つい先日I君を連れて入った店に向かったが、看板を見てZ君が渋りだした。何でも去年、他の客に絡まれて一騒動起こしてからしばらく遠慮しているという。また別の店では路上にタクシーが列を作っている。運転手に尋ねると客が帰るからと呼ばれたが、ずいぶんと盛り上がっているらしく待ちぼうけを食っているという。どうも混んでいるようだ。
 それではと、異動前にはよく通っていたラウンジに行ってみるとこちらは全く客が入っておらずママ一人だった。
 話の続きをするなら持って来いだとカウンターに着いてコークハイを頼んだが、一旦トイレに立ってから戻ると俺の隣の席によく仕事を頼む印刷業者の社長が座り込んでいた。
 この社長は気はいいが少し酔うともう何を言っているのかさっぱり分からなくなる上に人懐こく絡んでくる。しまったとは思ったが話しかけられて無視もできぬ。
 気が付くと日付も変わった。あまり盛り上がらないまま今夜は終わり。