次期主力小型車両選定。

 妻が長年使っていたスズキのKei Sportsを更新する次期車両の検討を開始してから、既に5ヶ月が過ぎ去っていた。
 きっかけはエキゾーストパイプの穿孔を修理してもらうためにディーラーへ持ち込んだ際に、パイプどころか車体下面のフレームの錆の進行が激しく強度がないため「修理しても保証書発行できません…」と修理を拒否されたことだった。
 四輪駆動でターボ、かつマニュアルミッションを載せた現行の軽自動車ならスズキのアルトWORKSが該当するが、デザインは妻の希望に沿うものではない。
 俺は妻が本心ではKeiを手放すつもりがないことを分かっていたので、車検に通る程度にフレームの修理・補強を請け負ってくれる修理業者を探すよう薦めたが、妻はそこまでやるつもりはないようだった。車に詳しい義父がいかに車に愛着があれど事故発生時の車体の耐久性を考慮すれば無闇に修理にこだわるのは危険だと主張していたためらしい。
 それで妻は早速各自動車メーカーの現行車種のカタログを取り寄せて新車の比較検討を開始した。
 ところが、妻はKei Sports以上に欲しいと思える車を容易に見出すことができなかった。最大のハードルはMTミッションの有無で、これを考え出すと候補車両は軽自動車はおろか普通自動車を含めても片手に収まるほどしかない。軽自動車自体の価格がKei購入当時より高騰している中で趣味性の高いMTミッション搭載車は妻の予算内で購入することが困難らしく、かなりの逡巡の後にMT搭載車は断念された。それでもなお選択肢は少ない。発動機の排気量やハイブリッドシステムの有無はほとんど評価事項の対象外で、流行の先進安全機能も不要であるため付加価値といった点でどの車種にも違いが出なくなるのが状況を悪化させている。
 Kei Sportsは今なら軽SUVとされるモデルの先駆けだった。そのSUVというカテゴリ内でようやく候補に挙がってきたのがスバルのXVだが、試乗してみたところ1.6Lモデルでも妻の感覚ではそれほど非力感はないもののボディサイズに比べてステアリングが鋭敏過ぎると不評だった。恐らく普段運転する普通車が直線番長のブリットだからその違いが強調され過ぎたのだと思われたが、それ以前にXVは全長があり過ぎて今のアパートで妻に割り当てられた駐車スペースに収まらないため他の住人に駐車スペースの交換を交渉する必要が出てくるし、妻が使用する頻度を考慮すれば車格が高過ぎるのは大問題だ。それでもXVは最後まで候補に残ることになる。ちなみにトヨタのCH-Rを義妹が、同じくアクアハイブリッドの追加グレードとして発表されたSUV風モデルを義弟が推したがCH-Rは貨物室の容量が貧弱で実用性が皆無、アクアハイブリッドはデザインが地味過ぎるとして候補に残されなかった。
 夏に入ってから妻は週末になると県都の自動車展示場に出向いては候補車の実物を調べ続けた。価格的には本命となる軽自動車のいわゆる未登録車についても何店舗かで見積もり比較を行ったようだがそれらについては俺が興味を持たなかったためどのような車種で検討がなされたのかは不明である。頻繁に俺のiPadが無断で持ち出され、たまに充電中のところを発見して起動してみるとFireFoxのタブが自動車関連のWEBページで数十枚も開きっぱなしになっており後始末に閉口した。
 
 この選定期間中、件のKeiは義実家に保管されていた。義父の眼にはフレームの劣化が既に危険なレベルらしく、アパートにあれば妻がどうしても日常使用してしまうため取り上げたというわけだ。しかしそのために妻が買い物のため近所に出向く時でも県都に出かける時でもとにかくブリットが持ち出されてしまうことになり、俺の行動が著しく制約を受ける。しばらくは我慢していたが耐えられなくなり、この8月中に次期車両を決断できないならKeiの状態がどうあれブリットの貸与を停止することを通告した。
 夫婦なのに自家用車の貸し借りを渋るなんてと言う輩がいるかもしれないが、そいつは一足しかない自分の靴を頻繁に履き逃げする同居人がいる状況を想像できないのだ。
 
 そして、とりあえず本命を決めるからという発言を受け、今日また県都にやってきた。
 5ヶ月の間に本命すら決められなかった点には目を瞑った。高額な買い物に際して割り切りとこだわりという相反する要素を抱えて悩んだ妻に同情しないわけではなかったからだ。それも自分自身が全く望まないタイミングで全く欲しくないものの中から買い替えを強要されるのである。
 俺が前車のカリーナEDを気に入ったまま、マーク2ブリットを心底欲しがり廃盤寸前で購入できたのは幸せだったのだ。あの時、カリーナEDを手放した理由は本当に単に置き場所がないと言う点だけだった。それがなければ恐らく毎年車検費用と保険料を払いながら俺は自家用車の2台持ちを何の疑問もなく(そして経済的には苦しみながら)やっていたはずである。
 さて今回は最初に大手中古車専門店Gを訪問した。妻は予算上の制約から新車購入にはこだわらなくなっており、XVのマイナーチェンジ前モデルに希望するグレードの中古車両が見つかればそれでよいと考えるようになっていた。店頭で対応した若いスタッフに在庫の検索を依頼して類似グレードを何台か抽出の上見積もりを作成してもらっていたが、やはり中古在庫では車体色とグレードの組み合わせには大きな制約があり、中々希望に合致する在庫車を発見できない。
 ここで妻は比較対象としてスズキのスイフトを指定して数パターンの見積もりを依頼した。
 スイフト?。スタッフも「えっ?XVとスイフトの比較検討ですか?」と聞き返す。価格帯も車格もかなり異なり比較にならない気がするし、妻はスイフトのグレードは研究していなかったはずで、提示される見積もりを見てもピンと来ない様子である。
 スタッフも面倒になってきたのか、系列販売店から他業者への転売予定で明日にはなくなる予定だという最も好条件のXVの在庫車両の見積もりを店長と共に切り出してきた。もちろん他業者とも比較する予定なのでここで決定する気は妻にもさらさらなかったのだが、俺が次の店に行こうと何度会話を断ち切っても、この金額で出したら今決めていただけますか?と繰り返す店長。この見積もりをもっと早くに提示してもらえていれば、もしかすると購入契約を1時間早く結んでいたかもしれないが…。申し訳ないが今日の閉店時間までには結論を伝えるからと引き揚げた。
 次は県内最大のスズキ直販店である。
 ここは3月にKeiを持ち込んだ店である。妻はスタッフにスイフトとアルトの中古在庫を見せてもらい、車格でスイフトの方が良いと判断した。
 ここに至り、候補車両は遂に2車種に絞り込まれた。当初から検討していたスバルXV、そして開発系譜から見てKeiの直系の子孫と言えるスズキスイフトである。
 …そしてその出会いが訪れた。
 スタッフが妻に薦めるスイフトノーマルモデルDBA-ZC72Sの背後に隠れるようにして、ほとんど新車同然のスイフトスポーツCBA-ZC32Sが置かれていたのだった。前オーナーは女性で、次期モデルが発表される事を知りながら当該モデル末期にこれを発注し、間もなく上の車格の車種に乗り換えたのだという。
 日暮れ時のオレンジと黒と青の空の色がガンメタリックの車体に映えて美しかった。
 
 仮契約の作成が終わったのは、閉店時刻を過ぎた20時であった。
 結局、妻は再びKei Sportsに戻ったのだ。