指導。

 とある課の若手S君が、ふと俺のところへやってきて業務用PCを交換して欲しいと申し出てきた。
 普段は物静かであまり自己主張がないS君。普段から周囲とあまり積極的に関わっている様子はなく、俺もほとんど会話したことがない。
 彼が今使っているのはPentium3でメモリ256MBの旧式ノートPC。キーボードなどはパンタグラフキートップのプラスチックが劣化して、押すだけでパキリと割れる。そこへ外付けキーボードをぶら下げて使っていた。
 彼用の新しいPCはもう2年も前に所属課が購入して準備されていたが、なぜか彼自身がその旧式機からの交換をしぶり、これまで放置されてきたものだ。旧式機の存在は、本来なら業務系アプリケーションの更新計画への障害ともなり得るが、一方で慣れた仕事道具が代わることで極端に業務のパフォーマンスが落ちてしまう人も少なくない。彼はあまり手際が良くないとの評判を耳にしていたので、無理強いはせずしばらく様子を観ていたところだ。
 本人の気が変わらぬ内に作業を済ませるため、今日の修業後に立合いを依頼して、設置予定の新PCを回収して整備。
 終業後、紅い空を眺めながらS君の元を訪問。他の者はほとんど帰宅しており、S君と同僚のH氏、そして2人の上司であるN係長がいた。
 S君の机上は書類が積み重なっており新旧2台のPCを置く場所は全くなかった。一昨年あたりから彼の仕事ぶりについてはあまり良い評判を聞かない。仕事の期日を守れず、報告書を上司に提出できず、重要書類の保管が適切でない。一言で表すなら「だらしない」というところで、周囲の者は「もたつきすぎて仕事を任せられない」と言う。彼の今のデスクの有様は、一見してそのとおりの人物像を抱かせるものだった。
 代わりに帰宅した者のデスクを貸してもらいリプレース作業を開始。大部分の作業は俺のところで済ませてあり、現地のプリンタの登録と個人作成のローカルファイルの移動程度の軽微な作業。S君自身にもPC運用のスキルがあり、俺の作業を手伝おうと気を遣ってくれる。
 俺の作業はプリンタ設定までにして、その後は自分でやってもらおう。そう思って作業を進めていると、N係長がその様子を眺めながら「Sもいよいよ交換する気になったのか。じゃあ溜めてる仕事もどんどん進められるんだろうな」と、ぽつりと言った。
 今まで俺の作業を見守っていたS君の様子が変わった。キョドりながら係長に曖昧な返事をする。それに納得せず、N係長が追い打ちをかける。
 「え?本当に?お前今年の春に引き継ぎ受けた件とか、期限7月末だけど本当に大丈夫なの?書面そこに重ねっ放しにしてあるみたいだけど」
 「ええ、あの、はい大丈夫です」
 「そう、大丈夫なのか。じゃあ俺ここにメモっとくよ?Sが今日、期日には間に合いますと返事したって」
 「・・・」
 「いや、マジで、間に合いそうになければ前の担当者つかまえて二人でやらなきゃダメだろ。前の奴の責任でやっておくべき内容だったら、そいつにそう言わないとダメだしさ。これ最後に監査受けるの分かってるよな?」
 「・・・」
 「どうなの?できるの?」
 「・・・あぁ、あの、はい」
 S君の表情からは、俺の作業の支援に没頭することでN係長から逃避したがっているのが有々と伝わってくる。
 「お前も就職してから何年も経つんだから、しっかりしないといかんだろ。先月も言ったけど、それから何か作業が進んだ風に見えないじゃない?。お前にももう責任てのがあるんだからさ」
 「ええ、はい、あの、ちゃんとやりますので」
 居合わせた俺にとってはひどく気まずい空気。
 『あはは、N係長の言葉は耳に痛いですよ。俺も机の上に書類出しっ放しですしねぇ』
 俺の奴!余計な一言!。だが耐え切れなかったのだ。
 「それも程度の問題だろうがよ。偉い人らもそういうつまらん所を抜け目なく見てるんだからな」
 「・・・」
 『・・・』
 俺のバカバカ。
 その時、俺の携帯が鳴った。後輩のK君から広報用カメラが壊れたので診て欲しいという連絡。
 これ幸いにと、俺はその場を立ち去った。