はっきり言い合う者同士。

 週末に予定されている災害時診療訓練の計画についての職員への説明会が開催された。
 狭い会議室にDr、Ns、その他コメディカルなどほぼ全職員がすし詰めになった。会議室の隅には先日から各業者に頼んで借りて評価中のEIZOや東特などを始めとする医用高精細モニタがずらりと並んでおり、うっかりした職員に肘打ちでも食らって壊されたりしないかと冷や汗が出る。どれも1台で30万円をくだらない高額なシロモノだ。
 さて、説明会の内容は大した事ではなかった。例年計画を立案しているS君が各部門に役割分担やその意図・意味を伝えきれておらず、聞いている職員と喧嘩腰になるのも昨年の通りだった。S君は頭はキレる方だし仕事の段取りも上手いのだが、態度が横柄に過ぎてほとんどの職員から嫌われている。
 1時間以上の説明会が終わり、俺はS君と電子カルテ代替の紙伝票の取り扱いについて話し込んで他の出席者より退室するのが随分遅くなってしまった。
 照明が落ちて暗い院内を歩き、医事係のオフィスにたどり着くとそこにはOさんだけがいた。ボス以下他の係員は帰宅した様子だった。
 俺は今日の資料整理があり、デスクに着いて作業前に一息つこうとしていたように思う。真向かいに座るOさんが、お互いの境となっている22インチモニタを避けるようにしてこちらを覗き込みながら言った。
 「今日ってI君何か様子おかしくなかったですか?」
 「えっ、何?何て?」
 聞き返したがもちろん彼女の言葉は全部聞こえている。聞こえているのに聞き返すのはわずかでも応えるのに考える時間を稼ぎたいからだ。
 何となく、何かが起きたのだと悟った。というのも、I君とOさんの関係がここしばらくの間かなりギクシャクしていて周囲がハラハラしていたためで、まさにその理由が災害訓練にあったからだ。
 Oさんは昨年初めて訓練に参加し、院内の対策本部内で職員の配置情報の管理をI君と共に任された。災害発生後に出勤できたという想定の職員を本部まで申告させ、その職種や経験を見てトリアージ区域や病棟など適切な箇所へ順次配置指示を行う。昨年の時点では配置検討は上級職が行い、OさんとI君の役割は単に配置先を本部員が把握できるよう専用モニタの情報を書き換えていく作業だった。
 計画立案者であるS君の基本方針は、平時に災害時を想定した手順やポリシーの設定は最低限に留めておき、その実現方法はそれを任された職員の判断に一任するというものだ。だから配置検討の基準はもちろん、その情報の掲示方法も担当者が任意に取り計らってよいことになっていた。
 ところが困ったことにOさんはそのような自己判断を最も苦手とする人だった。医事係内の業務一つとっても必ず前任者がマニュアルを作成しておかないと納得せず、やむを得ず自分が新たに仕事を立ち上げる時でも些細なことで周囲の人間を質問攻めにしてしまうので係内でも辟易気味なのだが、この訓練時の業務はまさに彼女にとって、準備不足で何も定まっておらず、いい加減な計画に思えたようだ。昨年は当日の業務でもあれはどうする、これはどうなると現場で質問攻めを始めてしまいかなりI君を困らせたらしい。I君は医事係内での災害対策担当者であったため、彼女からの指摘事項をどうしても聞かなければならない立場だった。
 俺は昨年の訓練はたまたま日直業務が重なり不参加だったため、今回の訓練が初参加となる。なので昨年の本部でOさんの業務に何が起きたのか具体的なことは知らない。だがその際に配置検討担当だったウチのボスに言わせると「今回の担当をそのまま任せるのは不安」だと言うから、何か上手く彼女を動かせるよう手順を定義して置かなければならないと思っていた。
 しかし彼女は今年の訓練が近づいてきて院内各所で準備が始まるのを見ると、昨年の訓練を思い起こしてはT係長やI君に不満点をぶつけ始めていた。その内容はというと、やはり本人がその場の状況に応じて判断すべき事項についての判断基準がないだとか、到着申告に現れる職員が一度に集まってきて大変だとか、あるいは情報共有用の掲示板の記載や表示方法が気に入らないとか、正直なところ実際の災害時には本当にどうでもよい内容に関することばかりだ。あまりにそのような発言を繰り返すので耐えられなくなったT係長が「じゃあ、その問題点は反省会で指摘したの?」と尋ねると「いえ、言ってないですけど今年は直ってると期待しています」と答える。
 彼女の悪いところは「…だから、私こんなことできないわ」と、何とか取り組んでみようという姿勢を放棄してしまう点だ。そう言われてしまうと誰も手を差し伸べることができなくなり、ではお前は訓練から除外すると言わざるを得なくなる。
 ボスは賢明にもそのような彼女を排除しないつもりらしいが、どこへ誰と組ませて従事させるかかなり悩んでいる様子であった。
 「さっき、I君に去年の問題点がひとつも直ってないって説明してたんですけど」
 「うん」
 「何かいきなりI君が怒り出して、『そんなんだからアンタのことが嫌いなんだ』とか『そんなに嫌なら訓練に出てくるな』って叫んで、帰っちゃったんです」
 ああ。あの馬鹿野郎。
 気持ちは分かるが我慢もしろ。
 I君を見ていて、何も喋らないコミュ障より喋れるコミュ障の方が千倍・万倍手に負えないものだと痛感する。
 「私の言い方も悪かったのかも知れないけど、何であんなに急に爆発しちゃうのか理解できなくて」
 「……」
 「あんな奴だなんて知りませんでした」
 と、Oさんは口をへの字にして怒っている。
 俺はI君がここしばらく訓練の準備で極めて多忙だったこと、気難しいS君と現場からの要望の板挟みで神経をすり減らしていたことを挙げて、Oさんの方がはるかに年次は上なのだからぐっとこらえて受け流して考えないようにして、明日にでも俺がI君と面談して注意しておくと答えた。I君の性格はまだまだ幼稚な面があるので、失礼な発言も時々あるがそこは彼の特異な人格のせいで…とOさんをなだめようとしたが、その言葉を遮るようにして「まぁ言いたいことは言ったのでもういいです、明日にしましょう」とOさんは一気に言い、そのまま黙り込んだ。
 何だというのだ。これじゃOさんもI君同様のコミュ障じゃないか…。
 
 一気に疲れを感じた俺は仕事を明日に先送りして、Oさんを残して病院を出た。
 ブリットに乗り込みながら、LINEでボスに状況報告だけしておく。ボスも数日前からOさんが過剰な不安感で訓練に否定的な発言を繰り返していてT係長が対応に苦慮していたこと、I君がそれ以前からOさんにあまり好感を抱いていないことに気が付いていたと言い、明日以降係内が平穏無事に業務を遂行できるかと心配される。
 ここしばらくそういう報告しかできないのだから、ボスからすると俺からのLINEメッセージは碌でもないシロモノだろう。