後悔のない。

 何年ぶりだったか、それこそ就職してからは一度も連絡が付いたことがない知人から年賀状が届いた。
 意匠面は彼の自室を収めた写真なのだが、見ると壁一面コミックが詰まった書架で埋め尽くされており、書架の隙間だけでなく専用の鑑賞ケースにまで凄まじい数の美少女フィギュアが立ち並んでいる。
 2ちゃんでよく画像が晒されているような典型的なアニヲタ部屋。
 見たとき、その辺で拾った画像を使っているのではと思ったのだが、背景のガラス面にカメラを構えた彼自身が写り込んでいたので本人の部屋に間違いない。
 晒し画像で見ている時はそれほど特別に奇異や違和感がないのだが、この年賀状は違った。
 自分がある程度知った人物がこうやって自分のヲタ度を示威してきたことが(恐らく彼の意図どおりに)面白かったし、自分はネットで評価を目にする程度の最近のアニメ作品やコミックの膨大なグッズを集めまくっているのには感心したのだが、その一方で「ああ、やっぱり俺はヲタじゃない」という証拠を突きつけられたような気がしたのだ。
 そう、周囲から俺はヲタと認識されており、確かにヲタ的なカルチャーも楽しめる。中高では月刊ニュータイプを購読してたし、同じ頃に読んでいたPC雑誌も硬派なものだけでなくコンプティークやPOP-COMも欠かさず読んでいた。ガンプラも結構作って相当量が実家に残っているし、CDコレクションの半分はアニメのサントラになってしまった。今でも買うDVDにはアニメも多い。ええマクロスFは最高でしたよ。だからといって、それが泣ければ生きていけないかと言われればそうでもないが…。
 だからずばりアニメヲタクと呼ばれると反論はするが、どうもあくまで体面上の問題でしかない。
 なぜか。
 結局は「ヲタと呼ばれることが恥ずかしい」これに尽きる。
 決してカネを注ぎ込めないのではなく、ここまで耽溺すれば確実に周囲にバレることを恐れてしまうのだ。
 バレればどうなるか。都会と違ってヲタカルチャーへの理解度が低いこの田舎でそんなことになれば、変質者同然の扱いで一生を棒に振ることになる。間違いない。
 そういう自制心から俺は決して暴走することはなかったし、おかげで無軌道に時間とカネを注ぎ込んでしまうやたらにラジカルな青春という時期を無事に終えつつある。
 そう、逆に言えば…俺は暴走せず、無軌道に時間とカネを注ぎ込まずに、ラジカルでいることが公認される青春という時期を無為に終えつつあることにいささか後悔を感じたのだ。
 彼の写真からは、彼がその後悔を感じないよう、精一杯過ごしている様がありありと伝わってくる。
 決して萌えアニメに嵌りたいとかそういうわけではないんだ。
 「ヲタと呼ばれるだけのことなんかできないだろ?」と、その年賀状は言ってたという話。