部屋。

 で、テーマとは何か、なのだけれど…今回は「部屋」だそうだ。

 「部屋」と言われましても…小じゃれたエッセイストみたく気の利いたテキストなんか私に書ける訳ありませんが。
 ということで、とりあえず私の部屋について書くしかないな。

 かつては最果てとも呼ばれた辺鄙な田舎の、実家であるいかにも古臭い日本家屋の2階にある六畳間が私の部屋。
 高校を卒業して一旦ここを離れるまでは、廊下を挟んで反対側にある別の六畳間に棲みついていた。そちらの部屋は西向きで、私が使っていた当時は朝は暗く夕は暑いという、あまり良いとは言えない環境であった。だがその部屋で、私はバイトで買ったパソコン(MSXファミコンに毛が生えたような安物)でBASICコードを書くのとプラモを作る事に没頭していた。友達を呼ぶ時は、よほど親しい奴でない限りはテレビゲームを置いた別の部屋を使っていたのでこの部屋に通す事はあまりなかった。
 人目を気にする必要がないせいで、部屋は恐ろしく散らかって汚かった。当時毎月欠かさず読んでいたパソコン雑誌が床にどんどんぶちまけられていた。高校に入って高脚のパイプベッドを導入するまでは、万年床を敷きっぱなしでもあったため状況悪化は著しかった。床など早い時期に見えなくなっていた。当時、私は自分が手に入れたモノはどのような些細な価値のものであっても絶対に手放さない自分の習性に気が付いていた。
 高校1年の時、夜寝ていたら部屋の雑誌でできたボタ山の下で爆発が起きた事があった。ボタ山の上にいつの間にか構築されていたスラム街の如きCD置き場が衝撃で崩壊し、すぐ下にあった私の頭がCDで埋まる惨事であった。
 原因を調べるためボタ山を発掘すると、最下層にあった数年前のパソコン雑誌POPCOMが奇妙な液体で濡れていた。さらに調べを進めると、懐かしい牛乳パックが潰れているのが見つかった。中学校の給食で出ていた牛乳パックだ。それを見た瞬間、私はある事を思い出した。
 中学2年の冬、熱を出して学校を休んだ私の元へ、友達がその日給食で出たパンと牛乳を届けてくれた事があった。受け取った私はそれを枕元に置き、朝から何も食べていなかったのでパンは食べ、牛乳パックは手をつけずにビニール袋に入れたままで読んでいたBASICマガジンの上に置いた。その後POPCOMを読んでさらにその上に重ね、それから…。
 それから丸2年、私はその牛乳パックの存在を失念したまま、その上に雑誌のボタ山を築いていたのだった。牛乳パックはいつしか醗酵し、発生したガスで袋は限界まで膨らんでいた事だろう。爆発の原因はこれだった。
 翌日、私は通信販売でパイプベッドを買った。「地表」で何が起きようとも、自分だけは無事でいようという思いからだった。
 高校の友達からは、私の部屋は「腐海」と呼ばれていたらしい。

 今の部屋は同じ頃、弟が使っていた。こいつは麻雀とタバコが好きで、友達を呼んでは毎日徹麻、そして親バレしないように部屋で面子とタバコを吸っていやがった。だからふすまは反対側の部屋のものより茶色に変色してしまっている。奴はタバコ屋の自販機に貼り付けられているタバコの広告シートをコレクションしていて、よく馴染みの…年齢的には本来関わらないはずの…タバコ屋の主人からシートをもらうと、ふすまに貼って飾っていた。だから、今でもヤニのシミの中にシートと同じ形の中抜きが残っている。
 また、奴は自分が吸い終わったタバコの空き箱を貯めては鴨居に並べてもいた。これは私の同級生にも同じ事をしている者がいたので喫煙者にはそれほど珍しいことではなかったのかも知れない。
 それ以外では奴は非常に几帳面でキレイ好きだったし、不要なものを適切な時期に廃棄するという整理整頓の基本を守れていたので、廊下と言う名の大地溝帯を挟んで2つの部屋は全くの異世界となっていた。

 私と弟が家を出た後、妹がそのどちらかを使う事になった。
 彼女はヤニで変色した部屋を嫌い、腐海征服という困難が待ち受けている事を覚悟の上で、私がいた部屋を選んだ。

 私が主となった今の部屋は、弟がこまめに片付けていた当時とは一変し、かつて大地溝帯の向こうにあった世界と同じ…いやさらに勢いを増し、雑誌とCD、DVDの山、そして自分で収入を得るようになって増殖率が飛躍的に向上したパソコンソフトや機材、この狭い部屋に不釣合いな大画面テレビが散乱する有様だ。
 そして、逆に今は妹が支配するかつての私の部屋は、面影を探し出す事は不可能なほど美しく整然と片付いている…わけがなく、逆にさらに混迷が進んでいる。私が置いていたプラモやパソコン雑誌に代わって女の子向けのキャラグッズ、女性誌が大量に転がっている。また当然のように、部屋の片隅には飲み掛けで長期間放置され、変色すらしたペットボトルが何本もある。
 この女、やはり私の妹だ。間違いない。