波打ち際で。
金沢港に護衛艦ひゅうがが寄港しているとの連絡がN氏から寄せられた。
仕事上の下らない問題で疲れていた俺は初め聞き流して眠っていたが、午後になって気が変わり撮影の支度をしてブリットに乗り込んだ。
曇天の合間に赤い夕日を透かし見ながら走り、金沢港に着いたのは19時頃だった。
新築成ったクルーズターミナル越しに高いステルスマストが見える。
ひゅうがはコマツの工場敷地に隣接する大浜岸壁に接岸しているので、艦体を見たければ大野側のからくり記念館より先まで降りなければならない。
ブリットを停め、釣り人に混じり護岸に立った頃には既に陽は落ちていた。
闇の中、6Dを据え付けて撮影を始めた。
黙々と暗闇に向けて竿を振る釣り人達。
残照の海を眺めに来たカップル。
夕食後の散歩にやってきた親子連れ。
俺と同じようにひゅうがを撮影しようとする人々。
しばらくはそういう人達が適度に距離を起きながらも護岸に賑わいを作っていたが、夜が更けるにつれ少しずつ人影は減っていった。
釣り人の何人かは、カメラを持った人達は今夜何を撮っているの?と尋ねてきた。対岸にいる護衛艦だと答えると、そんなに珍しい船なのかと驚きながら去っていく。
6Dのバッテリーが空になり、充電済みバッテリーに入れ替える。
時計を見ると21時。闇の中、先程まで周囲にぽつりぽつりと灯っていたデジタルカメラの背面液晶も自光式の浮きもほとんど見えなくなっていた。
突堤の入り口に白いシャツを着た高校生くらいの若い女性が独り、座り込んでスマホを眺めていた。その向こうの突堤上には男性二人組がまだ撮影を続けており、彼らのカメラ談義の声だけがかすかに聞こえている。
そこからは北西の空が見通せる。ふとネオワイズ彗星を撮影しようと考えていたことを思い出し目線を上に向けたが、天頂付近には僅かな数の星が瞬いていたものの、雲の流れはもうまもなくそこも覆い隠す雰囲気だった。
湿気を含んだ海風が当たり、ブリットの冷房で冷えていたレンズが少し曇る。バッテリー駆動のレンズウォーマーをカメラバッグから取り出してレンズに巻いたが、ヒーターが効き始めるのを待つより焦点域の似た別のレンズに換えた方が早いと思い直し、足元のバッグを再び開けてレンズを掴んだ。
その時背後から声を掛けられた。
「今夜は駄目だね」
振り返ると、カメラと畳んだ三脚を持った、やや高齢の品の良い男性がいた。
「雲が流れて少しは晴れ間が出るかと思ったんだけどねぇ」と、北西を指差しながらその人は言った。
彼の被写体がひゅうがではなくネオワイズ彗星の方だと理解するのに数秒掛かった。この天候で星景の撮影だけに来ている人がいるとは思わなかったのだ。
「ああ、彗星ですか。今日はちょっと無理でしょう。というか県内ではよほど時間掛けないと、もう観測無理じゃないかと思っていました」
「いやいや、粘り強く見ているとね、ふと雲の切れ間ができる時があるんだけどね。ちょっと今夜はね」
「そうでしたか。残念でしたねぇ」
「あなたは何撮ってたの?星じゃないの」
「私はあれです。向こうの護衛艦を」
「こんな時刻だとどんなイメージして撮るの?どんな感じに仕上げる?」
答えに詰まる質問だった。いつも撮影前に「どんな風に撮るか」と考えることはない。見たい物を、見えるレンズを付けてファインダー越しに見て、撮りたいと思った時にレリーズボタンを押すだけだ。
「…そうですね…岸壁と艦上の照明で見える範囲を画角に収めておいて、次はこちらまで広がってる海面の波紋が残るように露光時間を切り詰める感じなんですけど、今夜来てた皆さんも近い感じで撮影してたようですが」
「ああ、そうなんだ。あんまり面白くなさそうだねぇ」
とても率直な意見。
「今日なんか例えば、天の川が出てればそれと絡めて撮れればいいと思うんだけどねぇ」
「なるほど…あの、天体撮影されているんですか?」
「うーん、普段はねぇ、鳥の撮影してるんだよね。あ、ちょっと待っててもらえる?」
Yさんと名乗る男性は自身の車からスマホを持ち出して、保存していた写真を俺に見せてくれた。
明らかに髙地に入って撮影されたイヌワシ等の猛禽の写真だった。
「季節によるけどねぇ、日本に入ってくる渡り鳥追いかけてあっちこっち行ってるわ」
Yさんのスワイプで次々と表示される作品。
もちろん、鳥だけではなかった。
「これ、あなた興味あるかどうか分からないけど、小松基地で航空祭って毎年あるんだけど、その前に予行演習やるんでその時に飛行機も撮ってるよ。基地外の方が条件いいから、当日も会場には入らないね」
ここ数年の間のアグレッサー機を含む空自機が完璧に捉えられていた。
「こういうのも作ってみてるんだよね」
そう言って見せられた、高速連写されたF-15の静止画を連結した動画はコマの欠落が全くなかった。どんなボディを使っているのか分からないが、その連射の間はファインダから機体を一度も外していないのだ。
「すごいですね。…私も小松基地には時々撮影行くんですけど、連射してても当たりは1割か2割あるかどうかって程度です」
時々と嘘を付いたのは無意識の防御反応である。
「それは練習すれば良くなるよ。私は自分で言うのも何だけど結構うまいと思う」
更に星景写真も見せてもらった。単に三脚に載せて長時間露光するだけの俺と違い、赤道儀とコンポジット合成をきちんと使いこなした本当の星景写真だった。
全くもって太刀打ちしようがない。
「もしかしてインターネット上に作品投稿されてたりしますか?InstagramとかTwitterとか」
「ああ、インスタはしてないけど、ブログは開設して写真上げてるよ。アドレスは…」
Yさんは快くブログのURLを教えてくれた。その場で閲覧させてもらったが、本当の写真家の撮影ブログだった。
話している内にお互いの出身地の話題になったが、俺の近所の話が通じることが気になり詳しく尋ねると、Yさんは既に現役は引退しているが医療職で、以前俺が勤務していた総合病院にも学部の後輩や同業者がいて今でも付き合いがあり、その中に俺と共通の知人がいることが分かった。
何というか、世界は狭い。