叔父の死。

 ここ数年疎遠だった叔父が亡くなったとの知らせが母親経由で届いた。
 正直に言うと行動にあまり抑制が効かずいつも大言壮語しては浪費する、あまり関わりを持ちたくない人だった。大昔、まだ独身だった頃は真面目に手足が生えたようなと形容されていたのが、仕事上の付き合いで漁業関係者と交流を持つようになってから急激に性格がDQN化したのだと聞いたことがある。
 その息子達、つまり俺のいとこ達は皆その父親の影響を良くも悪くも受けていて、中高生の頃はみな一様にDQNになり、その後は父親を省みて心を入れ替えてまともな社会人として頑張る者がいれば、不惑の年齢に近づいてもチャラDQNのままの者もいる。しかし高校生の夏休みに相互の墓参りで会ったのが最後で、それから一度も顔を見たことはなかった。
 叔父の葬儀に夫婦で必ず出席するよう実家から連絡が来て、少し早起きしてブリットを走らせ葬儀場へ向かった。今日は友引で本来なら葬儀は避けるものだと思っていたが、聞くと最近はそういう話にはこだわらず斎場の予約を優先するのが普通らしい。
 20数年ぶりに再会したいとこ達の長男は今回喪主を務めていた。挨拶や近況もそこそこに叔父に何があったのか尋ねると、長年肝硬変で闘病を続けており主治医にも禁酒を申し渡されていたのが、最近になって再び家族に隠れて飲酒するようになり一気に容体が悪化したとのことだった。どうも自宅以外に近くの海岸に船小屋を兼ねた別宅を作ってそこに入り浸り、家族の目が届かなくなったのがまずかったようだ。
 家族からすると知らないうちに船を買ったり、船を揚陸するための重機を買ったりと家の資産をかなり使い込んでいたようだが、いとこ達の表情は一様に明るかった。しかし決して父親の死を喜んでいるわけではない。父親の破天荒なDQNエピソードが、今では彼らの中で忘れようのない思い出になっていたのだった。
 叔父にまつわるエピソードはどれも俺の親族の中で一、二を争うが、その中では大した内容ではないもののいつも夏になると必ず思い出す出来事がある。
 我々いとこ達がまだ小学生の頃の夏休み、叔父一家が俺の実家に宿泊したことがあった。叔母が俺の実家の出身で、当時まだ父親の仕事で市外に住んでいた俺の家族も同じ時期に帰省するのが恒例だった。俺も弟も、他のいとこ達が一同に揃う夏休みは本当にいつも楽しみであった。
 いとこ達と散々遊び疲れ大人たちは酔いもまわり、夜も更けて皆就寝したのだが間もなく飛び回る蚊の羽音に悩まされ始めた。
 そのかなり後に俺の父親が戻ってくるまで実家は外見の大きさの割には部屋数が少なく、2つしかない客間兼座敷に何家族も相部屋で眠っていた。俺は同い年のいとこ達3人と最後まで起きて喋り倒していて(全員がそれぞれの兄弟の長男で、どうしたことか全員が既にアニメにハマり始める兆候を見せ始めていた)、その場で横になって眠ってしまっていた。
 しばらくは皆我慢していて、俺はここで蚊に対してアクションを起こすと折角眠っている叔父や叔母に迷惑をかけるからとじっと息を潜めていたのだが、そのうちいとこの一人が起き出して置いてあったキンチョールを部屋中に散布し出した。少しでいいのにこれがまたとんでもない量で、部屋中が霞が掛かったように真っ白になった。一番年下だったいとこ兄弟の末弟が殺虫剤の匂いと息苦しさに泣き出すような状態である。
 蚊はさすがに落ちたか一旦は羽音が消えたのだが、何と間もなく再び羽音が聞こえ出した。当時の家にはなく窓を開けて夜風を入れる他扇風機くらいしか暑さを凌ぐ方法はなかったから、きっと何匹も侵入して隣の部屋や廊下で待機していたのだろうと思った。
 泣いた末弟をなだめながら叔母がいとこを叱ってキンチョールのスプレー缶を取り上げた。どうも蚊は子どもたちには見向きもせず、酔っ払って体温が上がった大人たちに、特に一番ダメな感じに酔い潰れていた叔父に集中して向かっているらしい。しばらくすると痒みに耐えられなくなった叔父が激しいいびきの合間にウンウン唸りながら腕を振り回して蚊を追い払い始めた。
 ふと俺は薬箱にムヒが入っているので叔父に使ってもらおうと思い付いた。しかしムヒは不要になった…。
 叔父はムクリと起き上がると、叔母が取り上げていたキンチョールの缶を手に取った。そして、何と部屋に噴霧するのではなく、自分の体に塗りたくり始めたのだ!。先ほど室内に撒かれた量など、それに比べれば遊びに見えるようなとんでもない量である。
 そのうち缶が気化吸熱で冷えきりそのままでは噴出しなくなると、今度は缶を逆さまにして内容液を直接漏出させて手で塗り広げ始めた。
 「冷てー。こりゃいいわい」
 叔父の様子に気が付いた叔母やいとこたちが飛び起きて、キンチョール缶を取り上げようとしたが叔父は怒り出した。
 「蚊が寄ってきてかなわんやろ。こうしておけば絶対大丈夫やからな」
 確かにキンチョールは本質的に有害な殺虫剤であることを忘れて気軽に食事中に使ったりすることはあるが、人体に直接塗っていいわけはないことぐらい当時の俺でも理解できた。
 「皮膚がんにでもなったらどうするの」
 「ならんならん。なったことない」
 酔っ払った叔父に言葉で説明しても通じないと悟った一同は、叔父を放置して再び寝直すことにした。
 
 とっ散らかった布団を治そうと叔母が灯りを付けると、閉まっていたはずの網戸が全ての窓で開け放たれていることが判明した。だから蚊が何度も入ってくるのだ。いとこ達の誰かのいたずらだろうか、叔母が怒りながら網戸を閉めようとすると、再び叔父が怒り出した。
 「網戸閉めたら、風が入ってこんじゃないか…」