いわし。

 今週末は県内の温泉旅館での泊まりがけの宴会である。広報担当者が3年連続でコンクール優勝を決めた祝賀会という位置づけ。
 ところが、俺は残念ながら金曜夜から日曜夜までシステム更新作業が予定されているため不参加。
 幹事なのに…。
 幹事長にその旨申し出たところ散々嫌味を言われたが、仕事だから仕方ない。
 元々は通常企画している旅行が例年より非常に早い時期に行われたため参加できなかった人が多く、その穴埋めとしてかなり早い時期から構想だけはあったのだが。
 その時の旅行に参加できなかった一人であるZ君が、Gungunmeteoさん行かないのなら代わりに近所で前夜祭やりましょうよと言う。単に飲みに行く口実なのだが、自分だけ(正確には、女性は全員不参加らしい)行けないのも腹立たしいのは事実であり、ちょっとは憂さ晴らししたいと思っていたのでいつもの店に行くことに。
 隣室のM君も同行していつもの炉端焼きAからスタート。
 今週はこの周辺の飲食店が共通クーポンによる期間限定サービスを実施中で、全ての店の限定料理を食べてまわろうという客が結構入っていた。
 我々の中でもZ君がクーポンをまとめ買いしていたので、彼からクーポン分を立て替えて貰う形で限定料理を食べる。
 天然スパークリングワインと子牛のタンシチューのセットで、大変美味しい。量はクーポンの単価が安いのでどうしてもそれなりだが、味は妥協がなかった。
 続けて焼いた鰯を注文。なんで鰯なのか?実は数日前に見たニュースで、近隣の漁港で普段は穫れない大量の鰯が水揚げされ始めてちょっとした騒ぎになっているというのを聞いて、脂の乗った鰯の丸焼きをどうしても食べたいと思っていたのだ。実は今夜ここに来たのも、ここなら鰯を仕入れているだろうと思っていたからというのがあったりする。
 丸々と太った鰯はどこを齧ってもうまかった。

 満足したのは良かったが財布の中にあまりお金が入っていないことに気が付き、その後1〜2品頼んで店を出た。Z君はともかくM君は二回り近く年下で、彼に払わせるわけには行かないが元手がないのはまずい。
 そんな俺の気を知らないZ君はぜひ次の店に行こうと先にたって歩き出した。行き先はラウンジSらしい。
 困った…まぁケチな話だが俺はコーラ一杯くらいにしておけばいいか。そのラウンジはそんなに高い店でもない。
 ラウンジのカウンターに着いてしばらくすると、M君の携帯が鳴った。同期の女の子かららしい。携帯から漏れ聞こえる女の子の声を聞いて俄然活気付くZ君、すぐにここへ呼ぶんだとM君をせっつく。学生時代は一貫して体育会系だったというM君は先輩の言葉に逆らうという選択肢は考えつかないようで、女の子にすぐラウンジに来るよう頼んで電話を切った。
 M君は同伴者に俺とZ君がいることを知らせていたので、多分女の子は来ないだろう。
 こんな変な奴らとつるんでいるより女の子の方がいいに決まっているのに、M君には悪いことをしたな…と思いながらコーラを啜っていると、ラウンジにふらっとM医師が現れた。
 総合病院勤務の頃はよく一緒に飲みに出ていたが最近は全くご無沙汰だったのでご挨拶しに行く。よく独りで飲みに歩くのは知っているが、2年ぶりくらいに会っただろうか、そもそも俺が結婚したことすらご存知でなかった。
 病院では去年新しい電子カルテを整備したところで、その運用の具合を聞いた。やはり医局には不評らしいが、知る限りDrにもNsにも好評を博せる製品なんかないのだから、お互いに仕方ないなぁという感じで話していた。
 さらにしばらく経って、M君の指示通り、電話してきた女の子が店に現れた。M君の同級生で、ウチの職場にいるMさんとTさん、そして俺と同じ部屋のUさんの三人連れだった。
 一気に顔が明るくなるZ君。彼女らの目当てはM君なのだから…とやや冷ややかに彼を見やる俺だったが、Z君は景気よく「向こうのテーブルに…」と勝手にオーダを出してしまう。
 「まあいいよ、『あちらのテーブルの方からです』ってリアルにできる機会はないしな」と笑ったが、この場の払いは多分俺なのだからあまり無茶はしてほしくないところである。
 ちょっと俺も酔っていたようでその後何を話していたのか記憶にないが、かなり長い時間が経って気がつくとカウンターからZ君とM君の姿が消えていた。あれっと見渡していると、M医師がおツレさんは向こうのボックスに移ったよと指差す。そこにはいつの間にか女の子三人の中に割り込んでいる2人がいた。
 M医師がカルテ記載ページの分割の仕方について話し出したところだったと思うが、後ろから急に羽交い絞めにされた。誰かと思えばM君で、Z君が呼んでいるからボックスの方に来てくれという。20歳そこそこの女の子たちに混じっておっさんの俺が何を話せというのか。座っているだけで気がおかしくなりそうだからそっちだけで好きにやっていてくれと答えると、彼は俺のIS11Tと財布を引っ掴んでボックスの方に逃げていく。M医師が笑って俺に手を振り、その場に俺の居場所がなくなってしまった。
 こいつらよくも…半分泣きそうな気分になりながらボックスに行くと、あちゃー、ただでさえZ君がうざいのに、さらにおっさんが来ちゃったよ、といった視線がMさんとTさんから突き刺さるように飛んできた。初対面ではないが実に居心地が悪い。
 Z君は相当酔いが回っているようでろれつが回らない。M君は状況をどうしたものかと考えあぐねた末、要は俺に帰ろうと言わせたい様子なのだ。
 実はZ君、数日前に丸坊主にしたばかりだった。元々頭髪は薄く、髪型をどうこねくり回しても地肌が目立つのを自虐ネタにも使っていた彼だったが、近所の悪い先輩からいっそ剃ってしまえと言われてやむを得ない妥協として三分刈りにしたらしい。しかしながら軽い近眼でメガネを外すと極端に目つきが悪くなるところもあって、この席にいるZ君はちょっと出来の悪いチンピラに見えなくもない。
 普段は席が近いUさんはZ君が外見から連想される人物像とは真逆だとよく理解しているが、残りの二人からすると職場では滅多に合わない怖い先輩と出くわしてしまったという風だ。M君からここにいると聞かされていたはずだったが、どうも聞いているとM君以外は別人のグループだと勘違いしていたようである。
 さ、もう帰ろうといきなり切り出したがZ君から「座っていきなり帰ろうって、そりゃ女の子たちが気に入らないから帰りたいって意味ですかぁ?失礼ですよぉ」といきなり怒られる。
 いきなり三昧だ。帰る様子がない。
 場が白けるのが怖いので無理に話しかけてみるが、何せ年齢は20年近く離れている。共通の話題もなく話しかけるネタそのものが寒冷化を招いてしまい脳内の俺は頭を抱える。その点Z君は外見はどうあれまだ三十路に踏み込んだばかりで何とか会話を繋げられているのが素晴らしいが、いかんせん今は酔っぱらいだ。調子よく「この場の払いは俺らに任せといてよ」と自爆を繰り返す。お前が払うんじゃない、俺が払うんだろう。
 Z君がフラフラと何度めかのトイレに立った所でM君に彼が戻ってきたら帰ろうと合図。戻ってきてまだ喋りたそうなZ君を抱えるようにM君に預けると、店のママに会計を頼んだ。女の子三人のチャージ料とさっきZ君がおごりまくった分、俺達が飲み食いした分、だいたい15,000円くらいか…足りなかったらこっそりツケてもらおうと思っていると、意外に安く8,000円だった。それでも財布の中から全額出て行ったのだが。
 えっ?何か安過ぎない?ときょとんとしている俺に気づいたか、ママが「Z君が持ってきた共通クーポン分引いてあるから今夜は安いよ」と教えてくれた。そうだったのか、心の中で散々悪態をついて済まなかったZ君。
 安心して、まだカウンターにいるM医師に改めてご挨拶しながらZ君を引っ張り、M君を置いて帰ろうとしたがZ君がM君をボックスから引っ張りだした。
 何てことしやがるんだ。そのまま置いてくれば良いのに余計なことをと思ったが、Z君的には若い女の子とM君だけを置いてくるのは悔しいので邪魔してやりたいのだと正直に言う。本当に何てことしやがるんだ。ママからじゃあねーと手を振られ、M君も帰る場所をなくしてしまった。しかもM君は立ち去り際、女の子たちのリーダ各であるMさんに「Gungunmeteoさんのおごりだから」と声を掛けていた。いらんことを言わんでいいんだ君も。
 こんな流れでいいのか…と混乱していると、Z君に引っ張られてまた例の蕎麦屋に入っていた。もう俺にカネはないぞと言うと、まだクーポンの最後の一枚があるからそれを使うとZ君。
 なんだか疲れて声も出ない俺と、酔いが回りすぎてヨレヨレになったZ君と、そんな二人でもきちんと相手をしなければならないと頑張るM君。
 そこからどうやって帰ったか、覚えていない。