一夜明けて。

 昨日は大変な一日だったわけだが、身の回りを改めて確認してみると、ここまで被害が少なかったのは実に僥倖だった。ほんの隣の市町では道路の寸断による地区まるごとの孤立や医療機関の機能不全があったし、不幸な死者を初め、負傷者の数も半端ではない。
 隣町の病院では水道がまだ不安定なために検査室が業務を行えず(分析器に使う純水の精製もおぼつかないらしい)透析科もやはり浄水の確保ができず休業状態との話だった。
 看護部門からは早速援助派遣のため何人かが重篤被害の地域に向かった。当分の間は車中泊となるらしい。
 事務部門にも、男性職員は一応ボランティアとして派遣される可能性があると説明があった。
 県都より各システムのベンダーが入れ替わり来院し、状況の確認を受けた。昨日のエントリのとおり私の担当範囲内ではHUBが一つ死んだだけだったし、他部門も機材などほぼ無事だった。
 この震災は「能登半島地震」と命名されたそうだ。