BlackBerry KEY2のバッテリー交換。

 BlackBerry KEY2のバッテリーが膨らみ始め、満充電容量も定格の70%程度にまで減少した。
 手持ちの最後の予備バッテリーへの交換作業実施。
 もう3度目の作業で、我ながら手慣れたもの。あの脆弱なアンテナケーブルコネクタも冷静に作業すれば何ら問題なく脱着できる。
 
 前回交換から丸2年経過している。
 このバッテリーが寿命を迎える頃、俺はまだKEY2を使っているのだろうか…。

EOS R5。

 色々とあって、キヤノンオンラインショップで会員限定で特価販売していたEOS R5を買ってしまった。
 レンズは当分マウントアダプタを介して6D用に揃えているEFレンズをそのまま使用する。
 フラッシュ等のオプションもほぼそのまま使用可能。
 とにかくSIGMA 150-600mm F5-6.3 ContemporaryとEFテレコンバータX2でAFが使えるようになったのが素晴らしい。
 6Dは高感度性能を生かして星景写真で活用していく。

全塗装?

 ブリットのボディの劣化が著しい。
 長年露天駐車を続けていたこともあるが、劣化の兆しがあったのに何も手を打たなかったのが悪かった。
 全体的に塗装膜の劣化によるくすみが発生して、ブラックが遠くから見るとグレイに見える。
 リアゲートハッチにはナンバープレートガーニッシュを伝って発生した錆が目立つ。ハッチとガーニッシュの合わせ目に長年浸透した雨水による錆が下方向へ拡大し、かなり深く進行してしまった。
 錆の除去にはナンバープレートガーニッシュを取り外す面倒な作業が必要だったので、表面から錆除去ケミカルを塗布していたが見た目こそ赤錆が目立たなくなっただけだったのだ。

 先日、近郊の比較的大手の自動車整備工場を何件か訪ね、他に発生した擦り傷等と併せて錆部分の修理の見積もり作成を依頼した。
 どの店も共通していたのはリアゲートハッチの錆は研磨すると鉄板が穿孔する可能性が高い点と、各部の擦り傷修理をすると車体全体の塗装との違和感が激しすぎると思われるので車体全体をクリアー塗布もしくは車体全塗装も考慮すべきとの見解。
 細かい作業手法の違いはあるが、見積額は安くても10万円台、最も高い場合では50万円。
 どの店のスタッフも「なかなか愛着あるようですね」と、婉曲に費用をかける価値を考え直すようほのめかす。

 愛着があるのは事実だが、尻込みする金額である…。

後輩、Hさん。

 今年、今の会社で採用された新人の中に、以前の会社で部下だったHさんの姿があった。

 前の会社で俺の退職が発表されるより1ヶ月前。
 退職願が受理され、総務部門間での在職歴の引き継ぎもほぼ終わったところで、俺はまず自分の係員へ退職を伝えるため季節業務の打ち上げを名目に懇親会を企画した。ところがD君の都合が合わず延期となり、このままでは定期異動発表に間に合わなくなったため、やむなく個別に説明していくことにした。
 俺は正月以降、事あるごとに「4月には俺は確実にいなくなるから持ち越しできない未決の課題があったら報告しろ」と伝えていた。今まで俺はそのようなことを公言したことはなかった。
 D君やUさんは単に俺の異動が内定しているだけと捉えていた。もちろん通常、そうであっても正式発表前に当人が公言することはあり得ないのだが、Hさんだけは俺との今までの会話の中で薄々思い当たっている様子だったので、それも考慮して最初に彼女に伝えることにした。
 その日の終業後、陽が落ちた職員玄関から彼女の車までいつものように雑談しながら歩き、退職することを伝えた瞬間、彼女は眼を見開いて「…ん?!」と呻いた。
 「詳しい説明がいるか?」
 「いりますね」
 「今からお茶にでも行くか」
 「はい。でもお茶よりご飯ですね」
 いつもの居酒屋のカウンターで、この数ヶ月の経緯を全て説明した。
 「…秋ごろから休むパターンも変だし、何かあるなとは思ってましたよ」
 「係長の俺が退職するんだから、係員の君らが異動することはないと思う。新しい係長は俺より有能に決まってるから、よく指示を聞いて働けばいい」
 「今までどおり、仕事にはプライトを持って当たりますよ。その人が人間的にどうかによって付き合い方は別になってきますけど」

 それからしばらく、いつもどおりの年度末の雑然とした忙しさが続いた。その合間にHさんと交わす雑談は一変した。
 「Gungunmeteoさん、私に散々『今からでも違う道に進めるから』って言ってましたよね」
 「そうだね。だいたい、間違ってないと思うけど?」
 「私、30代に入ってからの転職って条件の縛りや待遇悪化とかが当たり前で、実質不可能だと思ってたんですよ」
 「うん」
 「でも目の前で私よりずっと条件厳しいはずのGungunmeteoさんが、待遇そのまま転職なんて無理ゲーあっさりやってのけたんで、もう私毎晩それ考えるだけで『おぇええええ』って死にそうになるんです」
 「今の俺の労働市場での価値を考えれば博打に見えたかもしれないが、転職のセオリーを守ってたわけで、別に退職してから就職活動するような暴挙じゃない。採用されなければ何食わぬ顔で出勤してたよ」
 「そういうことじゃないですよ。『私もやらない理由がなくなった』から、行動しない自分が辛くて胃が痛いんです」

 そして、予想に反してHさんが他部署へ異動という人事発表を最後に見て、俺は会社を去った。

 4月以降しばらくの間は、お互いの新たな職場に関する雑談をSNSで続けていた。Hさんの新しい仕事は今までよりやりがいに満ちていたし、また人間関係は昨年より遥かに改善した様子で、こちらの新生活を羨んで見せることはあっても、彼女が毎日を比較的楽しく過ごしている様子が伝わってきた。
 しかし、その状況に甘んじて彼女が翻意するはずはなかったのだ。

 半年後。俺の会社の求人に応募したと、Hさんから連絡があった。
 彼女から3年間いつもほのめかされていた通りだったし、俺が先に行動に移したことで、彼女自身が言った通り彼女もそれに続かざるを得なくなっていたのだから俺は驚かなかった。
 しかしそれが俺と同じ会社だとは思わなかった。商圏は大きく違うが本質的には同業他社であり、今の会社での彼女の不満が解消されるようには思えなかった。
 試験の要点については可能な範囲でアドバイスをしたが、有能な彼女が採用試験をパスするのはほぼ確実で、見込みどおり初雪が降ってから間もなく、彼女宛に採用通知が届いた。

 4月1日の初出勤に伴うオリエンテーションでさっそく筆記用具を忘れたとHさんから助けを求める連絡があり、始業前ではあったが久しぶりに彼女と顔を合わせた。
 ペンを受け取る彼女の表情は、初日の失敗に慌てながらも、新しい環境への希望に輝いていた。

歯科医。

 久しぶりに歯科医を受診した。
 下顎の親知らずの違和感が今年に入ってから強まっていて、そろそろ抜歯すべきという覚悟ができたのだ。
 ネットで近所の歯科医を探したところ1km以内に20軒近く見つかった。
 口コミを調べたが、最も評価が高い歯科医は予約が全く取れそうになく、次点はいつも通勤バス内でコマーシャルが流れている歯科医で、設備もよさそうだったのでそこへ決めた。

 院長による1時間ほどの診察の結果、親知らずの歯根が下顎骨と癒着しているため、もっと設備が整った口腔外科で治療を受けるべきと診断を受け、紹介状を書いてもらった。
 紹介先として口腔外科の一覧をもらい、それぞれ予約の取りやすさや勤務医の特徴など丁寧な説明を受けた。
 週明け、どこかで予約を取って受診する予定。

2年目、初夏。

 2021年3月24日付の記事から、久しぶりの投稿である。
 この1年以上の間、俺の眼前で膨大な数の出来事があり、そしてほとんどすべてがこのブログに備忘録として記す暇もなく記憶の彼方に消え去っていった。
 未来、振り返る機会があれば、人生の中でも一、二を争うほど混乱と緊張と変化に翻弄された日々。
 今となってはわずかな手がかりを頼りに朧気な記憶を書き出すことしかできない。
 それでも、時間があれば少しずつ遡りながら書き起こしていこうと思う。

 仕事に関する出来事については、その業務内容を推定できるような内容は今まであまり書いては来なかった。
 これはこれからも同様だ。
 もっと昔の記事にはそうでないものもあるが、こちらはそのままにしておく。

 2021年3月の記事のとおり、俺は昨年末で転職した。
 転職活動はその前年秋頃、唐突に始まった。そして、たった1社だけを対象にした活動はわずか4ヶ月で何ら困難に直面することなく成功裏に終えることができた。率直に言って年齢から考えればかなりの僥倖だ。
 活動対象を1社だけに絞ったのも自らのスキルを考えればここ以上に適した場所も、また待遇が前職同等で維持されることが確約されたところももほとんどなかったからだ。
 もちろん前職の経験が採用に結びついたのは間違いない。何度かの面接では勤務条件についてかなり好き勝手を言わせてもらった。すぐに言い過ぎたと後悔した場面もあったのだが、大部分が要求通りになった。
 重ねて言うが、年齢から考えればかなりの僥倖だと思っている。

 そして、再就職に伴い生活も大きく変化した。
 新しい職場は転勤を伴うため、10年暮らしたアパートを出て県都の社宅へ移った。
 久しぶりの一人暮らしだ。
 社宅はこれもワガママを言って世帯用の部屋数が多い物件へ入居させてもらった。代わりに平均的な社宅よりは若干古びた都営団地風のアパート群の一室となったが、最低限の設備は備わっており自分の生活に不便は感じない。
 家賃負担はあるが、駐車場費用を含めても格安だ。
 転居に当たり引越し業者は使わなかった。社宅への入居は採用期日である4月1日からと決まっており事前入居は認められなかった。やむなく最低限の家財道具と日用品をブリットに積んで当日を迎えたのだが、このブリットの大積載量が功を奏し、週末に新旧住居を往復するだけで生活可能なレベルまで荷物の搬入を終えてしまったのだ。
 今後は何年か後の転勤に備えて、前のアパートの暮らしの中で大量に溜め込んだ自分の荷物をこのゆとりある社宅へ順次移動し、暇を見ながら整理していくことになる。
 
 前の職場はアパートから歩いて10分、走れば5分の至近にあったが、新しい職場は社宅からバスで20分の距離にある。また、現在はコロナウイルス感染防止を目的に、社員をランダムなグループに分割して勤務シフトの分散化が行われている。俺は希望して出勤時刻を定時より30分早めに設定させてもらったので、前職では起床7:30、部屋を出るのが8:10だったところ、今では起床時刻は6:30とやや早い。
 実は公共交通機関での通勤は初めてで、最初の1ヶ月は戸惑いの連続だった。直通のバス路線があるため乗り換えの必要はないが、やはり朝の混雑は避けられない。ちょうど学生の登校ラッシュとぶつかることになったのだが、なぜかバスに乗車するのは女子高生ばかりで、通路に立ち乗りする際は痴漢扱いされないよう、都会の通勤電車でよく言われるように両手をつり革に挙げて過ごしていた。通勤用のカバンやバッグで相手を押したりするのも痴漢扱いされると聞き、容量が少なく不便であることに目をつぶって薄くてスリムなメッセンジャーバッグに買い替えたりもした。
 しかし、何週間も他の乗客を観察した結果、誰もそのような行動をしていないことに気が付いた。今では他の客の乗降を支障しない限り普通に過ごすことにしている。

 仕事の方は前職と異なり立場上中間管理職ではあるが当面部下はいない。
 最初の1年間はメンター役の、年齢で言えば数歳も違わない先輩の指導を受けていた。デスクワークは前職とほとんど変わらない…と言えば嘘になる。組織が巨大なだけあって電子化が進んでおり、しかし分野ごとに別体系の業務システムがそれぞれ稼働しているためその操作に慣れるまでかなりの日数を要した。
 配属された部門の業務は前職には全く無かった分野で、配属と同時に任された業務自体は比較的容易であったが、関係先の大部分が外国人であるためコミュニケーションには配慮と工夫が必要だ。
 前職で長年従事した内部IT管理についての経験は幸いにしてこの職場でも役立っている。特にIT管理部門が遠く首都圏にあり、地方の支社であるこの事業所内には専属のIT担当者こそいるものの、ITシステム管理に関する操作のほとんどを機器の利用者たる一般の社員が自ら対応することが慣例となっているため、ある程度管理側に立っての知識がある者は重宝されるのだ。

 さて、すでにGWも終わり、これから徐々に夏の気配が近づいてくる。
 去年よりはゆとりを持った日々が過ごせるだろうか。

異動の発表。

 人事異動の発表が済み、必然的に自分の退職も明らかとなった。
 課長の様子を見て何となく察していた人もいれば、驚きをもって受け止めた人もいたようだ。
 今までお世話になってきた人達から三々五々連絡が入り、休み時間に少しずつ返信をする日々。

 そんな中、病院時代の部下だったI君から「退職すると聞いたので直接会って話したい」とLINEメッセージが届いた。
 例によって用件は言わない。
 昼休みなら大丈夫だと返信した。

 当日。
 比較的元気そうな表情で現れたI君に型通りの挨拶を済ませ、用件を尋ねた。
 「実は、僕も退職することになりまして」
 「ええっ」
 歌が好きな彼が、ずっと夢見てきた作詞・作曲を手掛けるクリエイターへの第一歩として芸能事務所に所属するというのだ。
 元々歌唱力はあるので「歌ってみた」やゲーム配信である程度知名度はあったが、創る側へのステップを踏み出したいとのこと。
 今は所属事務所と自宅配信を基本にした活動を協議中で、環境を構築する準備も始めているという。
 「奥さんは反対しなかった?」
 「いえ、1年間だけならってことで、許してもらいました。両親もお前の人生だからと反対はしませんでしたが、祖父だけはすぐに退職届を取り下げろと怒っています」
 当然のことながら、本人が本気なら誰にも止める権利はない。しかし諸人翼賛ではなかったことにも不思議と安心した。
 
 「Gungunmeteoさんにも、これからまた色々と相談させてもらうことになると思います」
 「デビューしたら必ず教えてくれ」
 「分かりました!」
 そう言って、彼は颯爽と去っていった。

 人の前に伸びる道は一本きりではない。
 それに、他人には見えない道もある。
 どの道を選ぶのも自由。ただ転ばず進めればそれだけでいいのだ。