SlingBox。

 義弟がドイツから一時帰国した。勤務先移転に伴う国内での打ち合わせと引き継ぎのためだそうだ。
 今回は義弟だけで義妹と姪はドイツで留守番。夏に来たばかりだし、向こうはドイツ語の勉強で余裕もないようだ。
 この一時帰国にあたっては、義弟から俺宛にリクエストが来ていた。義実家に設置したい機材があるので作業支援を頼みたいとのこと。
 普段、義弟一家との通信は妻のSkypeアカウントを介しており、必然的に義弟の頼みも妻の意訳…義弟は日本語に不自由はしないが、彼から発せられるテクニカルタームを妻が理解できるわけではないため、実質的に意訳である…を挟んで聞けば、ドイツで日本のテレビ放送をWEB経由で受信するためのサーバを設置するつもりなのだという。
 自分が知るところかなり古い方法だが、テレビチューナを備えたサーバPC上で専用のテレビ番組サーバを動作させ、やはり専用のクライアントアプリケーションを使用してインターネット経由でテレビ番組サーバに接続し番組をストリーミングできるものがある。
 かなりの種類の製品があるのでどれを選択するのかはこの時点では不明だが、サーバ側には当然グローバルIPが必須になると考えられ、またサーバ側にルータが設置されていればもちろんNAT設定も必要になるはずだ。
 ちょうど義実家には俺自身の利便性を考慮して数ヶ月前にWZR-HP-G302Hを設置済みで、NAT設定はどうにでもなる。問題はグローバルIPの取得だが、ISPである地元CATVとの契約にグローバルIP貸与サービスを追加しなければならない。契約は確か妻ではなく義父がしていたはずで、そのあたりの説明を義父に理解してもらうのは難しいかもしれない。
 直接義弟と話せればよかったのだが、時差とお互いの勤務時間の都合でそれは叶わずじまいとなった。
 
 聞いていた予定では火曜日には日本入りし、本社での仕事を終えて土曜日の遅くに義実家に着くはずだったが、それより早く金曜に義実家に入ったと連絡があった。
 妻は仕事で不在がちの義母の代わりに義父と義弟の面倒を見るため一足先に義実家へ戻り、俺は土曜日の休日出勤を終えてから、先日購入したVAIOをルータの設定用に携え義実家に向かった。
 
 義弟…ニュージーランド生まれのイケメン。大学卒業後に日本に渡り、小中学校の国際交流員として数年働いた後、義妹と結婚して現在の中堅電子機器製造会社に転職。彼の兄弟は証券会社のトレーダーなどが多く彼自身も理数系の才能に恵まれているが、英語はもちろん日本語とドイツ語を操ることから最初から営業を担当しており、数年ほど日本での営業活動に従事した後ユーロ圏担当としてイギリスへ。
 率直に言ってスペックでは圧倒的な相手である。旧ザクサイコガンダムMk.IIかさもなくばハマーン様御搭乗のキュベレイに斬り込むようなもので、最初から相手にならない。
 入籍する直前のゴタゴタのさなかに、丁度一時帰国していた彼の訪問を受けたのが初対面だった。気さくな人物ではあるが、社交性の高い相手から一様に発せられる何とも言えない如才無さを感じ、あまり深入りせず短時間の会話で済ませてしまっている。
 その時は今後の付き合いの可能性は無いものとタカをくくっていたが、その後の俺の状況の激変は予想していなかった。
 あの時もうちょっと話しておけば…と後悔。
 
 義実家に着くと、義弟は義父と共に缶ビールを大量に開け、それでも足らずに冷酒を一人でぐい呑みしているところだった。
 『やあ、お久しぶりデスネ』
 「いやいや、ご無沙汰しててごめんなさい」
 白人が喋るステレオタイプの日本語イントネーションそのままの彼の挨拶である。
 ニュージーランドに兵役はあったかしら?と考え込むようなマッチョ。そんな奴に日本の薄いビールはお茶と同じらしい。冷酒のビンは空になり、義母は悪酔いすると苦しいのは自分だよ?とおかわりを止めるが、おそらくそんな心配は無用である。
 『このアイダはイロイロとアリガト。娘もオミヤゲ喜んでたしネ!』
 「ああ、いやいや(AKB48のCDって俺が買ったもんじゃないんだけどな)」
 ふと居間のテレビを見ると、以前置いてあった年代物のLDカラオケデッキがなくなり、代わりにPanasonicのHDDレコーダDIGAと、もう一つ正体不明の装置がラックに収まっている。
 『ああ、あれね、とりあえずネトウォオアクのセテイだけはしたけど、まだゼンブのセテイがオワテナイ。ちょと手伝ってホシイ』
 「はいはい…」
 ルータの有線・無線LANの設定は過日のルータ設置時に完了しており、それぞれの設定値はWPA2のパスキー等と共に書き出してルータに貼付しておいたので、それを見ながらのLAN接続は成功したらしい。後は何が残っているのか。
 ここで義弟が設置したがっていたテレビ中継用の製品が判明した。
 『SlingBox』。送信元に設置する専用のローカルサーバと、ローカルサーバに視聴用クライアントからWEB経由でのログインを中継するWEBサーバの組み合わせで動作する。よかった、送信元の識別はローカルサーバが持つユニークIDで行われるため、こちらのグローバルIPは不要だ。
 義弟はSlingBoxローカルサーバをルータ越しにWEBへ接続するまでは作業を終えたものの、DIGAのネットワーク設定が理解できずそこで止まっているという。
 はて、DIGAはここでどういう役割を果たすのか。
 『アー、ディガは番組の録画用ネ。あとチャネルの切り替え』
 ???。ああ、なるほどローカルサーバはチューナを持たず、外部からの映像・音声入力に依存しているのか。HDDレコーダはローカルサーバ専用の外部チューナであり、また録画も担うわけだ。
 となると、HDDレコーダ自身のチャンネル切り替えもWEB経由で行わなければならないが…。
 昔俺が実家で使っていた東芝製RD-XD92DにはLAN上でRD-XD92Dをリモート操作するためのWEBサーバ機能が備わっていた。このDIGAのマニュアルを読むとよく似た機能について記載があるが、しかしWEB経由となると話は違う。HDDレコーダを識別するためのグローバルIPがやはり必要になるのではないのか。
 義弟は日本語について会話は全く問題ないが、家電製品のマニュアルを読むあたりになると少し自信がないという。該当部分の記載はほとんど利用される見込みがないと判断されているのか、設定するべき項目に比べてあまりに簡易だった。
 『海外駐在員の人タチ、最近はこの組み合わせがハヤリだって教えてもらったからダイジョブだと思うんだけどネ』
 実績ありか。義弟が持ち込んで設定支援に使っているLet's noteを覗くと、Panasonicが運営する「Dimora」なるWEBサービスのアカウント設定画面が表示されていた。
 「…ん、これって、何?」
 『何かネ、この「ディモーラ」のユーザアカウント作らないとダメみたいネ』
 持って来たVAIOを起動してこちらで「Dimora」が何かを調べてみる。「テレビ番組をかしこくチェック!」だと?。WEB経由で配信される電子番組表か?。いやいや、よく見るとこれもどうやら、DIGAをWEB経由でリモート操作するための専用サービスである。
 なるほど、SlingBoxもDIGAも、それぞれ開発元の提供するWEBサーバを通じてリモート操作できるからこそ組み合わせて運用できるわけか。
 Dimora経由でDIGAの電源を投入し好みのチャンネルに切り替え、その外部出力をSlingBoxにリアルタイムでキャプチャさせる。ユーザはSlingBoxの専用サイトにログインしサーバを介して認証・視聴する仕組みだ。
 分かってしまえば設定すべき項目は決まってくる。DIGAもルータ配下に固定IPで置き、DimoraのWEBサイトでDIGA自身のユニークIDと任意のパスワード文字列を含むアカウントを作成する。WEBサイト側アカウントのパスワード文字列を今度はDIGA自身に入力すれば、WEB側からの認証が可能となるはずだ。
 「Ok、じゃぁディモーラのWEBページでアカウントを作ろう。適当なユーザネームを決めてこのテキストボックスに入力してよ」
 『ウン、ここネ(…と、義弟が自身のファーストネームを入力するが)アレ?何かErrorが出たヨ?』
 「ありきたり過ぎて先に登録済の別人がいるんでしょ。後ろに適当な数字付ければ?」
 『(個々のオプションの有効無効を決めるラジオボタングループを見て)これ何の意味?』
 「これは有料サービス使用の有効無効…っていうか、enableかdisableを選んd」
 『「ンッネーボゥ」か「ディッセィボゥ」ね、ッケェイ』
 「次の選択肢…いやいやその上のリストっていうかListboxの中の」
 『この「リッスゥボッス」にはホシイのが入ってないケド』
 
 …この男、実は全て分かっていて俺を試しているんじゃないかという疑念に苛まれながら設定作業は終わった。
 SlingBoxは既に正常に稼働していたため、DIGAの接続ができたところでクライアント側の視聴画面でテレビ番組を受信し始めた。成功である。
 DIGAの操作もSlingBoxのストリーミングも全てWEBサーバ経由のためレスポンスが気がかりだが、同じルータ上に無線接続したLet's noteではワンセグ放送と同程度かやや遅い程度の遅延が見られる程度だった。操作性についてもDimoraのASPサービスは意外にもたつきが少なく現実的に運用可能だ。
 後はストリーミング可能な画質であるが、今回のテスト環境ではいずれのチャンネルもSD画質だった。SlingBoxの設定は事前に義弟が済ませており俺が見ることはなかったので詳細は不明だが、恐らく回線速度に応じて画質を変更できるのだろう。
 
 『Gungunmeteoはフダン何して過ごしてるノ?』
 「ああ?特に何も…県都行って買い物とか」
 『カイモノ?。ボクはよくあの、んー、エ、エイ?あの交差点の』
 「義弟君の家の近くの?じゃぁ、アプライド?」
 『そうソレ!「ィエプライッ」はいっぱい部品ソロッテルから便利だけど、ホカにショップはないノ?』
 「部品っつったら、マルツとか、パソコン工房とか、ドスパラとか…」
 『オー。日本にいてヒマなときはそういう「ウォタクショップ」に行ってるよ』
 「…何?」
 『"ウッオタクショッ"!。そういうショップは会社の人とかみんなウォタクショップて呼んでるヨ』
 
 …俺の認識で想像されるヲタクショップでは断じてないと思うのだが。
 真のヲタクショップとは、まぁ、アレだよ。義弟君。