不条理な。
今日は午後から半日休んだ。
別に体調が悪いとかそういうのではない。夏期休暇が手付かずで残っていたのを、上司に咎められたのだ。
本来は一日休めばいいのだろうが、先日風邪で寝込んでから仕事がたまっていて、そうもいかなかった。
帰宅してまずブリットの洗車をした。
黒だとわずかな砂埃でも汚れが目立つ。ガラスコーティングのマニュアルには「砂埃を被っても水洗いでキレイに落ちます」と書かれているが、カルキのない井戸水で車体をすすいでもそれほどキレイにはならなかった。
止む無く本格的に洗車する。前のEDでも使っていた、研磨剤なしの中性洗剤を水で伸ばし、そっと車体を洗う。
薄曇だが風がそよぐ。洗った部分からホースで水をかけ、泡が風で乾いてこびりつく前にどんどん流していく。
とにかくボディサイズが大きくなったので大変だったが、30分ほどで洗車は終了。また車体をまんべんなくすすぎ、最後に水滴のふき取り。
終わって見ると、納車直後の光沢が…だいたい復活。拭き残しの水滴が乾いて跡を残しているのが散見されたが、濡れタオルで拭いてごまかす。
それからホームセンターに買い物に行った。目当てはリアデッキに敷くマット。純正のトレイを敷いているが、荷物を載せると擦り傷がつくのが目立つので、その上に耐水の滑り止めマットを敷こうと思っていたのだ。
大き目のと小さ目の2枚を買い、さっそくデッキに敷いた。これで横Gが掛かっても後ろでモノが横滑りするあの手の届かない不快な音を聞く事もなくなるだろう。
また家に帰り着替えていると、子猫たちがシンクに上がって残飯を齧っていた。叱って全員を引き摺り降ろし、玄関まで持っていって2階に続く階段に放り上げた。
母猫に一番良く似た「ヨモ」(母も彼女もヨモギ猫で、母が「ヨモギ」という名だから彼女も「ヨモ」と呼ばれている)が不満そうに階段を降り、まだ何かを食べようとキッチンに向かうそぶりを見せたので、私は何気なく彼女を階段に押し付けた。
すると、何やらおかしな臭いが鼻をかすめ…それはすぐに強烈な刺激臭となって私を襲った。
「うわ、お前オナラしやがっただろ」
吐き気を催す強烈な臭気。思わず飛びのいて窓を開けキッチンまで後退した私を、「ばーか。」と言った表情で見るヨモ。
他の2匹などは知らぬ顔で、窓の外のスズメを見つめている。
全く、この猫どもは。
夜になり、たまに早く寝ようと思った私は22時前にベッドに入った。
そこで私は、夢を見た。
…どこか見知らぬ、田舎の小道の昼下がり。
海が近いようだ。夏の日差しが照りつけ、見晴らしのよいその丘の上の道からははるか向こうに真っ白な雲が沸き立つのが見える。
畑と瓦屋根の家々が転々と広がる中、きちんと舗装もされていないような、ありふれた田舎の小道。
そこに私は一人ブリットを停め、後部座席に座ってまどろみながら地図を見ていた。
「バタン」
ドアの音に顔を上げると、なぜかよく日に焼けた見知らぬ少年が海パン姿でブリットに乗り込もうとしている。
「えっ」
周囲を見渡すと、その海パン少年に続いて、いかにも田舎の農家の一家といった風情の人々が、次々とブリットに乗り込んできた。
何が起きているのか理解できず、その様子をぽかんと見やる私。
その中の、おそらくその家族を預かる主婦と思しき中年の女性が、運転席に乗り込むなり私にめがけてこう言った。
『こんなに狭い車では全員乗れませんよ』
その女性が、馴れ馴れしく私のシートに座りステアリングを握っているのに嫌悪を覚えながら、私はようやく返答した。
「ちょっと、ちょっと待って。何をしてるんですか?あなた、他のお車と勘違いされていませんか?」
そう言う間にも、後部座席に農作業に使うスモッグを羽織った老婆が座り込む。
さらにさらに、どんどん人々が乗り込んでくる。
『なんだか窮屈だねぇ』
『飲むものはないの?』
勝手な放言をしながらブリットを品定めする彼ら。
「…おい!おい!ちょっとあんたら!誰か他の奴の車と間違えてないかって言ってんだ!」
私の大声に先ほどの婦人が応える。
『何を言ってるんですか?早く出発しましょう』
『そうだそうだ』
私の問いをあっさり聞き流す婦人と、彼女の勝手な言い草に乗じてブリットを制圧する彼らの声。
「お前ら!ふざけんじゃねぇぞ!降りろ!とっとと降りろ!」
叫ぶ私。隣の少年を半ば蹴落とすように降ろし、助手席の人物を引き摺り出し、運転席の婦人に掴みかかる。
だが私が誰かを降ろす度、別の席に誰かが乗り込む。
いたちごっこ。
ようやく運転席に座った私だが、助手席や後部座席の彼らを全て降ろす事は到底できなかった。
「お、お前ら!何なんだよ?降りろって言ってんだろ!これは俺の車だっ!」
叫び続ける私と、そ知らぬ顔で聞き流す彼ら。
いたちごっこ。
私は真後ろに座り込んでいる婦人のほっぺたをつねり上げながら問うた。
「おいっ、何してやがるんだよお前らはって聞いてるだろ!俺がこの車に乗っていいって言ったか?!」
『うん、言った!』
『言ったよねぇ』
「言ってねぇよ!言うわけねぇだろ!いつ言った?アンタが俺に向かって『乗っていいですか』って聞いて、俺は『どうぞ』って言ったのか?いつ言った?どう返事したんだ?おいコラ」
視線を泳がせシラをきる婦人。
私の問いなど聞きもせず雑談でざわめく残りの人々。
「誰だ!誰がこの車に乗っていいって言ったんだ!?誰なんだよオイ!!」
つねり上げたまま婦人に詰め寄ると、婦人は後ろを見やりながら『ホラ、おじいちゃんが』と平然と答えた。
「あああん?」
ブリットは、農家の大きな庭先の路上に停まっていた
リアハッチの窓ごしに老人が一人立っているのが見える。
その老人は『いってらっしゃい』といいながら、さらに家族と思しき人々をブリットに乗せようと送り出していた。
「こぉらぁあああっ!」
私はドアから乗り出し、眼をむいて老人に叫んだ。
「何してんだ!何のつもりだ!何でお前らが俺の車に乗って来るんだよ!」
『乗っていいんだろ?』
「よくねぇっ!」
老人は顔をしかめて言う。
『何だって?よく聞こえんわい』
「聞こえるだろうが!」
『何をいっとるんじゃ…よう分からん』
「聞こえてんだろ!」
耳の遠いらしい老人には何を言っても通じなかった。
車内は彼らの人いきれで満たされており、息が詰まりそうになっていた。
私はそれに耐え切れず、車内のざわめきに負けないように絶叫した。
「降りろクソ野郎!降りろ!降りろ!降りやがれぇぇえええっ!」
…助手席に座っていた誰かが言った。
『しょうがないねぇ』
そいつは、なぜかニヤニヤ笑っている。
その顔を見て、突然不安に駆られる私。車内を見渡すと、皆が不敵な笑みを浮かべている。
ドアを開けて、ゆっくりと降りていく彼ら。
助手席のそいつは降り際に一言、こう言った。
『それじゃ、こいつを』
「こいつ?何だ?」
そいつだけでなく、乗り込んでいた全員が何かをシートに残していく。
だがそれはこんなに間近にあるのにぼんやりしてよく見えず、姿形がはっきりしない。
私は、顔を近づけてそれをもっとよく見ようとした。
途端にそれは膨張し、車内一杯に膨らんで破裂した。
そこから一気に噴き出したもの。
それは、猫のオナラの臭いだった。
その強烈さにもだえ苦しんで、目が覚めた。
汗だくだった。