大正生まれ。

 義理の祖母が亡くなった。100歳超と言う大往生だった。
 大昔、今の妻とはまだ単なる知人でしかなかった頃、共通の知人達と遠出する際に中継地として当時義祖母と義理の叔父が住んでいた県都の家に大挙して泊めてもらうことが何度かあった。
 その当時既に80代初めだった義祖母は話好きで、大した手土産も持たずに押しかける我々の他愛もない世間話に嫌な顔一つせず付き合ってくれた。
 外見こそ白いかっぽう着を着て座布団の上に座っているような通り一遍の高齢者のイメージ通りだったが、大正末期に通っていた尋常小学校では家庭環境がそれを許さなかったにも関わらず、教師から「女学校に行きなさい。あなたなら必ず師範学校に行けるから」と敢えて推薦されたという。今でも勉強が好きで、誰かが話した内容に興味を持てば愛用のノートにどんどん書き込んでいたし、今まで買い込んできた様々なジャンルの数多くの本が自宅に揃っていた。ちなみに居間の鴨居に掲げられていたのは古い教育勅語だった。
 この何年かは自宅から介護施設そして病院の間を行き来するようになっていたが、体の衰えに反して認知に全く異常はなかった。亡くなる二週間ほど前に最後にお見舞いに行った際もかなり容態は弱っていたが訪れる人々の見分けはついたし自発的に会話もでき、眼にはずっと力があった。
 どうも妻側の親族が士業や経営者ばかりなのは、義祖母の血統のような気がしてならない。
 
 義理とは言え自分の親族で、大正生まれの人間はこれでほぼいなくなった。義祖母は僻地の山奥に暮らし決して楽な生活ではなかったと思うが、そこから見えた日本の近現代の有様を詳しく聞く機会はとうとう持てなかった。