空気圧。

 来週は辞令交付のために総務課へ出頭しなければならない。妻から身なりをきちんとしておけと言われたが、着るものはボロいホコリまみれのスーツが1着しかないし、できることは髪を切っておくくらいだ。
 それで学生の頃から馴染みの県都の床屋へ行ったのだが、何せ出発したのがいつものように午後遅くだったので閉店間際の入店になった。まだ間に合うか尋ねると、マスターは「俺は最後まで切れないけどいいよな?」と言う。
 このマスターは娘二人がそれぞれ経営する居酒屋の厨房で料理人として腕を振るっていてどちらかと言えば床屋は副業になりつつあるが、土曜の夜でどちらも予約客が多く今からでも向かわないと客を待たせることになると慌ててている。申し訳ないので明日出直してくると言ったが、遠くから来た客に帰れなんて言うわけ無いだろうと怒られた。
 粗方カットしてからマスターは文字通り店を飛び出して行き、続きは奥さんが引き受けてくれた。マスターと入れ替わりに娘さん達の子供達が何人も面倒を見てもらうためにやって来て、最後の客になった俺の周りで遊び始めた。
 下の女の子が3DSで店内の写真を撮って歩き、気が向いたら3DSをマイク代わりにカラオケを歌って録音している。
 どんな写真を撮ったのか見せてと頼むと、鏡に写った女の子の自分撮り写真だった。やはり女の子は男の子と違って風景や物よりは自分が被写体になるのだろう。そう言えば姪も同じで、外国人だからかポージングも演出も派手だが写真の中で主役になろうと前へ出てくるところは共通だ。
 
 今日は妻も付いてきた。できれば義妹夫婦宅に泊めてもらって明日県都で用事を済ませたいと言う。
 年度末だから明日はできれば休日出勤して残務を片付けられるようにしておきたいし、そもそも親戚宅にそうそう気軽に泊まりに行く気がしれない。ところが妻はそういう遠慮は逆に失礼だし、義妹と姪から泊まるように言われているのだと譲らなかった。
 義妹はあなたの実の妹だし、姪もまだ中学生になったばかりだから親戚が遊びに来るのは楽しいかも知れないが、日々の仕事で疲れている義弟が同じ気持とは限らないから、今日はせいぜい顔を出す程度にするよう言ったが妻は不承不承だった。妻側の一族は俺の実家の一族と比べると付き合いがひどく親しい。俺の実家では同じ県内に住む親族であっても顔を合わせるのはお盆か正月の数日だった。それが妻の一族ときたら、毎週末にはどこかの家に誰かが出向いている。
 今夜は妻だけ泊めてもらえばどうかと提案したがそれは嫌らしい。俺は今日は必ず帰るからと繰り返すと妻は折れた。しかしながら立ち寄るのはOKだと言ったのに、妻は義妹宅に「このまままっすぐ帰る」と連絡した。怒っているのかあてつけなのか、よく分からない。
 
 妻の機嫌を取るために、妻の言いなりになって夕食の場所を決めることにした。
 片町あたりの居酒屋もありだが、間違って飲んでしまうと折角義妹宅を断ったのに帰れなくなる。選択肢は少ないが国道沿いの店を探すことになり、ここ数年行っていなかった少し高めの回転寿司店が選ばれた。
 昔できた頃は市内ではネタも店のサービスも一流だった記憶があった。ところが今夜はまだ20時過ぎなのに店内は待ち行列も少なく、レーン上の皿もほとんど見当たらなかった。土曜の夜でこんな状態では、普段の客の入りはどれだけなのか心配になる。
 頼んだネタはさすがに美味しかったが、出てくるのが遅かったり忘れられたりしている。他の客も同じような感じで、数皿食べて席を立つ客がちらほらと見えた。カウンターの中の職人さんの動きを見ていると、どうも新人らしい若い職人が二人いて、その二人の作業を経由するネタがやたらと待たされるようだった。
 何だか食べるリズムが崩されてしまうようで注文するペースは上がらない。少しで切り上げて他の店に行こうかと妻が言い出したが、そんな面倒なこともしたくない。
 こちらが忘れかけた頃に出されたアラ汁を頂いて、店を出た。
 
 帰路に付く前にトイレを借りようと、近くにあったパチスロ店に立ち寄った。
 用を済ませてブリットに戻り、何気なく車体を一周して目視点検したところフロントのタイヤから空気が抜けているのを発見した。
 バーストしたわけではない。購入した時から少し空気圧低下が早いのが1本混じっていたのだ。

 恐らくアパートを出発した時からこの状態だったのだろう、通常なら摩耗したりしない位置が少し削れてしまっていた。
 積んであるエアゲージで図ると0.5kpa。ここで停車してよかった。大昔カリーナEDで同じ目にあってから常備している電動ポンプで空気を入れてやった。
 タイヤ自体は買ったばかりでまだまだ使わなければならないが、もう数週間したらノーマルタイヤに履き替えだからそれまでの我慢。