後輩。

 午後。さる研修会に出席すべく俺とI君、そして医事業務委託先のベテラン2人で車に乗り込んだ。
 ドライバーはI君に任せながら、俺はとにかくI君に自分語りをさせようといろいろと手を尽くしていた。その日は気難しい一面のあるI君が比較的機嫌良く答えてくれていたからだ。
 ゲーマーであるI君とはもちろんゲームを話題にすればどうにでも会話は進むが、派遣さんの前で成人した若者が先輩とゲームの話題に興じているのはあまりにみっともない。代わりに自分の学生当時の生活をネタに誘い水を流していると、うまく彼が乗ってきてくれたのだが、これがいけなかった。
 彼は中学生の頃、既に趣味はゲームだったそうだ。皆が持っているからとか、皆が遊んでいるからというようなとおり一般の理由ではなくて、授業以外のほぼ全ての時間をゲームに当てて過ごしていたと言う。日常生活に影響が出始めるくらいに熱中していたある日、母親が痺れを切らしてゲーム機を本体やソフトごとそっくり取り上げたところ、彼は母親にキレまくって家出したのだそうだ。
 警察も捜索に出る大騒ぎになったらしいが、そのことで母親は息子にゲームのことにとやかく言うことはなくなったという。彼は「今でもあれは母親が悪いと思うんですよね」と、こともなげに言ってのけた。
 俺は彼の社会人としての良識を引っ張りだそうと「宿題やらいろいろやることはあるんだから、本当にゲームだけの生活ってわけじゃなかったんだろ」と尋ねた。すると「そうなんですよ!」とI君は喜色満面で答える。
 「その時、母親に言われたんです。毎日1時間、勉強と宿題をしていれば残りの時間は全部ゲームにしていいって!。それで俺、毎日宿題は学校に残って済ませてから帰って、家では全部ゲームに時間を使えるようにしてたんです」
 言葉を失う派遣さん達。一人が恐る恐る「それって、高校まで?」と尋ねると「高校というか、専門学校もですね」。
 とにかくゲームの話から離れなければ。
 「専門学校ではどんなバイトしてたんだ?」
 「いやー、バイトはしてなかったですね。ゲームの時間がなくなるし、学校自体が1年次しかないところだったから。その代わり…」
 「?」
 「クラスにいたヤンキーの人らに声かけられて、駅の近くで弱そうな奴からカツあげするのを手伝いました。僕そのころスキンヘッドだったし、背も高いし、見た目いいから俺らの脇に立ってるだけでいいんだって言われて。面白かったですよ」
 いきなりの犯罪自慢の衝撃で凍りつく車内。
 あれだろ、今考え付いたネタ話だろ?。別に強がって見せる必要なんかないし、無理に面白い話創る必要ないんだぜ?。
 脳内で、これは彼一流の冗談に違いないとフォローの言葉を考えるが口をついて出てこない。後席の2人も「いや…またまた…」とつぶやくだけだ。I君も車内の冷気を察したのか慌てて付け足した。
 「でも、最初の一人がたまたまヤンキーのリーダーの知り合いで、お金なくて困ってるって事情を話したら貸してくれたんでカツ上げじゃなくなったんです」
 「ホントかそれ?」
 「本当、本当です」
 
 I君に喋らせると大変なことになると痛感してその後は自分の近況をネタに後席の2人と話していたが、2人とも時計を気にしている様子だった。
 「そういえば、今日はえらく早めに出発したよな。時間ずいぶん余るじゃないか」
 本来片道2時間ほどかかる会場だが、その日はI君の段取りで4時間前に出発していた。彼の運転は見る限りかなり慎重で安全運転に徹しているものの、制限速度で走って2時間の距離だからどうやっても余剰の時間はできてしまう。I君の事前の説明では降雪による渋滞に巻き込まれると出席できない恐れがあるから、というものだったが、天気予報では当時は気温が高く特に雪の予報はなかった。
 「いやー、去年他の人と行った時には会場に30分前に着いたけど、混雑していて好きな場所に座れなかったので、今年はもっと早めにしないといけないと思って」
 「そうか、遠くから無理して来ているのに、遠い席に座らされるのもシャクだしな」と納得して見せたが、市街地に入っても車の流れはスムーズで、どうやら会場には2時間きっちり残して到着しそうな様子だった。ニチイさん達にしてみれば、自分の担当窓口に代理を立てて、何とかやりくりして作ってきた2時間だ。無駄になる前提だったなどとはとても言えない。
 「もう少しだけ時間があれば、どっかゲーセンにでもいけるかもしれませんけどね」とI君。面白くない冗談だ。勤務時間中にゲーセンなんて良いわけないだろうと笑い飛ばしながら彼の目を凝視したが、冗談なのか本気なのか区別は付かなかった。派遣さん達は「まぁまぁ、本屋さんで資料探しするのもありかもしれませんよ」と助け舟を出してくれた。ありがたい。ちょうど、資料探しに向いた書店が目的地の手前にある。
 「その前に」とI君。「ちょっと会場までの道を下見しましょう」と、書店を素通りして目的地となるビルにたどり着き、周りを一周する。こんなもの道が分からなくても、スマホGoogleナビでも使えば迷うわけがないだろう。それより道が不安ならあらかじめ調べてきたらどうなのだ。
 下見の次は、少し離れた住宅地に向かうI君。これは書店への近道なのか?と聞くと「いいえ、ちょっと姉の住むマンションに行きたくて」。細い路地を走り回ってそのマンションに到着したときには、I君以外の3人は無言だった。
 「何、今日はお姉さんのところに用事があったのか?」
 「はい、実は先週遊びに来た時に姉がインフルエンザで寝込んでしまって、バタバタしていてせっかく買ったレアもののお菓子を袋ごと置き忘れてしまってたんです。それを取りに行ってきます」
 「ああ、お菓子ね、ああそう…」
 ニコニコしながら車を降りたI君だったが、彼がドアを閉めたとたんに派遣さんの怒りが爆発した。特に年長のTさんの一言は怒りのすごさを物語っていた。
 「Gungunmeteoさん、あの子がもし私の息子だったら、今本気でぶん殴ってるわ…とてもじゃないけど耐えられない」
 
 I君の人となりがよく分からないという声を聞くので、話しやすい雰囲気を作って自己紹介でもと思ったのだが大変な失敗だった。
 俺だって同じくらいの年齢で世の中の人付き合いに友達以上の知識がなかった頃は、こんな風に周囲を困惑させたり怒らせたりしていたのだろう。別にそういう風に捉えられたいと思っていたわけではないが、話を膨らませようと無理をして、だからどうした?と笑われたり、自分の馬鹿さ加減をさらけ出したり、あるいは軽蔑されたりしていたのかもしれない。
 ただ、今にして思えばそれを叱ってくれたり正したりしてくれた先輩達がいた。仕事中に、あるいは宴席で、おびただしい非常識や無作法や非礼を咎めて正しいやり方を指導してもらってきたのだ。いろんな方法で…。当時はそのことに気づいていなくとも。
 俺は彼にとってそういう先輩になれるのだろうか。それは思い上がりなのか。