ゼロ。

 この3連休、最終日は職場のLAN増設工事に立ち会うため出勤しなければならない。
 一日半寝て過ごしていたので、半日だけでも出かけようと思い立ったのは午後2時頃。
 妻は天気も悪く、年賀状を作らなければとぐちぐち言っていたので「年賀状なんか年が明けてから作ればいい!(記憶障害)」と答えると、「お前なんかに任せていたら、常識知らずと笑われる」とプリンタの準備を始め出した。「やった!一人で出かけられる!」と喜んだのもつかの間、県都に祖母の世話のため滞在している義母と年賀状の版面を確認したいので乗せていけと言いだした。誠に残念である。
 今から出かけても着くのは午後5時過ぎ、何かパソコンの館マルツ電波で買い物をするにしてもほとんど時間はない。うまく時間が合うようなものがあれば映画でも観るか。
 ちょうど、職場の航空機マニアZ氏から「ぜひ観に行け」と繰り返しそそのかされ押しつけられた「永遠の0」のパンフレットがあった。邦画でどうせ脚本は観客を泣かせようという人情話なのだろうと思ってほとんど食指が動かなかったのだが…。だいたい戦後の邦画で「戦争」「特攻」「家族」とくれば、たいてい話の内容は見えてくる。しかも特撮はチャチで話に感情移入する以前に興ざめするのが普通だ。「男たちの大和」ですらそうだった。(とは言えあの「おはぎ」のシーンは素晴らしい)
 どちらかと言えば「ゼロ・グラビティ」を観たいと思って映画館にたどり着いた。
 妻を義母のところに降ろして一人で観ようと思っていたが、ここまで来ておいて義母は忙しくて会えないと言う。これはまずい。どっちのゼロでもいいのだが、よりにもよって妻が武士の献立やら清州会議やら観たいと言い出したらどうしようか。とりあえず館内のプレビューで本命のゼロ・グラビティを見せるが、明らかに興味がない表情である。宇宙服が出てきた時点で画面を見なくなった。
 しかし永遠の0には食いついた。あれだ、飛行服を着た主人公の悲壮な表情と交互に写る妻子の姿にお涙頂戴のお約束シナリオの臭気を敏感に感じ取ったのだろう。許可が出たのでチケットを購入。
 
 話としては実家の近所でもよく戦後はよくあったことだと昔から聞いていたような内容で、そんなに特別驚くようなことか?と感じたのだが意外に観客には受けていたようだ。周りの観客、特に中高年のお客さん達はもう人の顔が映るシーンのたびに泣いているような有様だった。
 自分はと言うと、零戦の胴体側面のいたるところに俳優が昇降するためのステップが生えているのが気になって仕方なかった。よく見ていると、どうもこの復元零戦は「山本五十六」で使われていたのとステップの位置が一緒で、ほぼ同じ代物のようだ。CGパートの零戦はよく出来ていたものの、悔しいがあのB級大作「パールハーバー」でのBF109とスピットファイアの空戦には劣る印象。特に最後のシーンだけは…なかった方がよかったのでは。
 とまぁ、映像美や脚本はともかく、来年は昭和なら89年、大正に至っては103年。もう日中戦争あたりの体験者はいなくなり、太平洋戦争も実際に兵として従軍したり戦闘に巻き込まれたりと体験した世代が証言できる機会はそう長くない。そういう証言を掘り起こす機会になる作品だったと思う。
 小説の方は未読だが、あの内容なら映画ではかなり変更されている部分があるのでは。上司が文庫版を誰かから借りていたので、また貸ししてもらうか…。