体験飛行。

 昨日は生憎の天候で順延となった陸自ヘリへの体験搭乗であるが、今日は快晴のため定刻に飛行決心の連絡があり、昨日同様地連のKさんが運転する公用車に乗せてもらい一路小松基地へ。
 聞くと今日はKさんの上司である所長さんが別便で高校生の女の子を連れて来るそうだ。卒業後は入隊予定ということで、そちらは本来の目的通りのリクルート活動ということか。
 その所長さんの車と、途中のSAで合流した。今回本来の予定者に変わって参加させてもらうことについて所長さんにお礼とお詫びを述べたが、色々と隊の活動に理解を頂いている方と聞いているので全く問題ありませんのでお気になさらず…とのお返事。
 頂戴した名刺には一等陸尉とあったが意外に若い方だった。自分やKさんとそれほど年齢は違わないような印象。
 9時前に小松基地へ到着し、そのまま基地内の搭乗待機所へ案内された。小さなプレハブ小屋だが中は大きめのバス停のようにベンチが備え付けられており、壁面には連絡機・輸送機の飛行予定や機種別の脱出手順書が掲示されていた。トイレや自販機もあり、体験搭乗のためだけの一時的な施設ではなく、どうやら自衛隊内の連絡機に登場する際に使用されている様子である。
 Kさんは一番乗りですよと言っていたが、中に入ると既に男子高校生が2人緊張した面持ちで座っていた。その後も県内から今日の体験搭乗への参加者が続々と集まってきたが、ほとんど全員が来春卒業を控えた高校生や中学生。わずかに社会人もいたが話を聞いてみると参加者に付き添ってきた先生や保護者であった。女の子も3〜4人いて、今回所長さんが案内してきた女子高生はこんな子が自衛隊に?と感じられるほど大人しそうな子。
 飛行前ブリーフィングまでしばらく時間があるというので、高校生の中でフリーズしているの嫌なので外をふらつく。念のため所長さんに断って基地内を撮影して見るが、今日は日曜日ということもあって基地内は行き交う隊員も少なく静かだった。
 Kさんからは事前に日曜は基地業務が基本的に休みなので、先に予定されていた基地内のミニツアーはキャンセルですと聞かされていた。まぁ基地航空祭に来れば大抵のものは見学のチャンスもあるのだが、あの人混みに混じって探しまわるよりも案内される方が楽に決まっているので残念。
 待機所の前にある建物が気になる。小さな作業場のようだが、建物の上には煙突にしては太い塔が立っている。
 入口に近づくと「落下傘整備場」の掲示があった。なるほどこの塔は中で開傘したパラシュートを畳めるように吊り上げるためか。
 定刻のブリーフィングでは今回搭乗させてもらうUH-1を運用する八尾駐屯地の隊員から、部隊と機体の概要、飛行中の注意事項の説明を受けた。一般人にもわかりやすい説明だったが「気分が悪くなったらゲロ袋を…」と直球の表現が旅客機搭乗と違うことを感じさせる。
 1機のUH-1に1班5名ほどで入れ替え搭乗させてもらうことになっており、自分は第1フライトだった。氏名の点呼を受けて第1フライト搭乗の予定者から整列してエプロンへ進む。

 エンジン始動前のUH-1が駐機しており、その背後にはF-15Jが並んでいた。Kさんによるとアラート待機の機体はここから更に遠方のアラートハンガーにいるという。
 一応、撮影用にといつものKissDXとS100を持ってきていたがカメラバッグは明らかに邪魔そうだった。誠に申し訳ないながら地上待機のKさんに預かってもらう。レンズは事前のZさんの入れ知恵で広角が良いと聞いていたが、逆にKさんは望遠が効くのが良いという。間を取ってSIGMA 18-200mmを選んだが、結果的に使わなかった。飛行経路を記録したかったのでm-241も持ち込む。
 機付員から機体から20mほど離れた位置に下がるよう指示され、一列になってエンジン始動の模様を眺める。意外にゆっくりと主ローターが回転を始め、1分程でこちらにダウンバーストを感じるくらいの回転速度に達した。Kさんはこの音を聞くと、降下訓練の面倒くささを思い出すので好きではないと笑っている。

 搭乗指示が下り順番に乗り込む。Zさんからは走って窓際の視野が広い席を真っ先に押さえろと言われていたが、そんな大人気ない真似ができる雰囲気ではない。うまい具合に6名分のシートが設置された中で、前列の左側に着席させてもらうことができた。操縦席の真後ろでキャノピーからの視界も見えるナイスな位置だ。
 機内はさすがにエンジン音がやかましく会話は無理だ。操縦席から離陸時や飛行経路などの説明が機内アナウンスされていたが、機内スピーカーの音量では何を言っているのか聞き取るのは難しかった。飛行経路は小松基地から南下し、加賀市上空で折り返して戻ってくるコースとのこと。
 エンジン音が高まり、いよいよ離陸。しばらくホバリングしながら機体制御の実演。機長席のラダーの操作の様子を見たかったが、自分が機長席の真後ろに座ったため叶わず。副操縦席では操縦桿のみ機長席とリンクしているのが分かる。機体はかなり揺動するが、その軸点はやはり頭上のロータハブにあるのが体感できる。ちょうどハブのあたりからぶら下げられたゴンドラに乗っているような感覚だ。
 コンソールには機長席側にフライトエンベローブが目立つ位置に貼られていた。ベトナム戦争当時の古い機体らしくほとんど全てアナログ計器で、無線機のインジケータともう一つ用途不明の計器のみデジタル化されている。機器の表示内容をパイロットの肩越しに読もうと必死になっている間に、いつの間にか機体はホバリングを止め計画コースに従って飛行を始めていた。
 隣の席には所長さんが連れてきた女の子が座って、反対側の窓から見える景色をスマートフォンで撮っている。機内を見るとみんな思い思いに窓に流れる景色を撮影しようとしているが、デジタルカメラを持ち込んだのはどうやら俺だけだったようだ。ホバリング中は元より飛行中もかなり揺れるUH-1の中からでは、手振れを抑えられないスマートフォンはなかなか撮影に苦労する様子。そんな中で目立つKissDXを振り回す気になれず首から下げたままにしている自分。正確に言うと揺れる機内で重いKissDXは下手をすると本当に隣席の同乗者に怪我をさせかねず、恐ろしくて使えないのだった。代わりに軽いS100で撮影。どのみちレンズ以外はセンサの性能からしてもKissDXとS100には大した違いはない。
 困ったことにUH-1の側面ドアの窓は小さく、一番よい真横に座る自分の席からでもあまり景色はよく見えないので現在地がわかりにくい。副操縦士はナビ用の航空図と別に普通の書店で買えるようなゼンリンの都市図を持っていて、それに掲載された観光名所やランドマークを通過するごとに機内アナウンスしてくれているのだが、前述のように聞こえにくい。昔住んでいたことがあって土地勘のある自分はともかく、後席の窓から遠い席に座ってしまった気の毒な高校生は恐らく、最初から最後までどこをどう飛んでいるかわからなかっただろう…。
 機長席のヘッドレストから見える機長の髪型でこの人が女性であることに気がついた。固定翼機では女性パイロットは珍しいと聞いていたが、ヘリではもう普通のことなのかもしれない。
 機速は速く、気が付くと既に折り返し点に差し掛かって機体はゆるやかに半円を描き始めている。窓からの地形には見覚えがあって、何のことはない、F氏の実家の真上だった。いつもお世話になっているF氏へのお土産に航空写真でもと思ったが、フォーカスが合った時にはフレーム外に過ぎ去ってしまっていた。後でGPSログを再生するとこの位置が最大高度で520mほどを記録していた。
 こういう時に自らの目で景色を眺めるか写真を撮るか、どちらか一方に集中するのは難しい。小さな窓から覗き見る景色を撮り続けるのに疲れて、復路ではカメラを置いてなるべく景色を楽しむようにした。

 往復10分あまりのフライトはあっという間に終わり、機体は元のエプロンの駐機位置と寸分たがわない位置に着陸。
 機体から降りた参加者は、案内役の地連職員に機体をバックに記念撮影をしてもらっていた。Kさんは俺も撮ってくれたが、気恥ずかしさで顔が引きつるのが分かる。
 第2フライトの班と入れ替わって、本日の体験搭乗は終了となった。
 
 Kさんが準備してくれた工程表ではこの後は午後遅くまで基地内ミニツアーの予定が組まれていたが全てキャンセル。せめて高校生が基地の売店でおみやげを買えるように…と基地に掛けあったそうだが、それも残念ながら無理との基地からの返事で、参加者は全員ここで解散。
 再びKさんの公用車に乗せてもらい帰路につく。Kさんが自衛官になるまでの経緯と何度かの海外派遣のぶっちゃけ話が本当に面白かった。専属の募集機関を持つ官公庁というのはほぼ自衛隊だけだと思うが、政治的な逆風はあれど採用の頭数には余裕があった昭和の頃とは違い、若年人口が減り続ける今にあって募集活動は大変なものがあるだろう。Kさんも日々の任官予定者の家庭訪問の合間を縫って、管轄の自治体で行われるイベントに告知の機会を作ってもらうため企画屋として参加もするのだという。この夏は自分の地元の祭りに合わせて港に護衛艦を呼ぶためいろいろと活動しているが、港の水深が浅く海自が難色を示しているのでどうしたものか…と頭をひねっているとこぼしていた。
 正面装備や基地の数も重要だが、結局は人の頭数がものを言う業界?だ。Kさんの日々の活動が報われることを祈る。