煌き。

 ドイツとの時差は-8時間。まだ向こうも眠っているだろうとしばらく待機。
 雪深い山中の古い家屋のためひどく冷える。コタツから全く出たくはないが、義両親が仏壇にお参りしろと言う。
 実はこいつが一番長男的思想に固まっているじゃないかと感じるようになってきた妻が真っ先に仏間に入っていった。俺も止む無く後を追う。無神論者と言うわけではないが、別に正月だからと言って儀式めいた真似をしなくても…と思うのだが、本当は正月どころか年がら年中そう思っているとは、信心深いこの一家の前では口が裂けても言えない話だ。ありていに言えば、仏壇なんてどうでもいい。
 ひとつだけ義実家の仏壇に関心があるとすれば、その古めかしさが素晴らしいという点である。俺の実家の仏壇や、その他目にしたことのある仏壇と言うのは、揃って派手な金メッキでなんだか安っぽい印象を受けるのだが、この義実家の仏壇は違う。もちろん仏壇の中の伽藍の構成は何も変わった所はないが、金色の装飾がすっかりなくなっているのだった。
 100年以上前からある、かなり古いものらしいと言うのは聞いている。だから製作当時は金の装飾が施されていたのが、経年劣化により剥げ落ちたのか、または蝋燭の煤で汚れてしまったのかよくわからないが、今は暗灰一色に塗りこめられている。
 この劣化具合が、それこそ古い神社仏閣にある文化財と全く遜色ない「迫力」を感じさせるのだ。
 他のどこに行っても、今まで仏壇ごときに迫力など感じた事はなかった。
 
 仏壇前に勢ぞろいしたところで気がついた。この仏壇、何かがおかしい。
 前に見たときと何か違う。何が違うんだろう。
 違うと言う気がすることが気のせいなのか。
 義父の趣味で全ての部屋の天井からぶら下がっている裸電球の、突き刺すようなギラギラした光に照らされた仏壇。
 …。
 ……。
 少しの差で、俺より早く妻が気付いてしまった。
 「何?この仏壇、なんか金ピカに…」
 「おお、ちょっとお金かけて直したんだわ」
 「えっ」
 「どうだ?なかなかいいだろう」
 かつての迫力はすっかり消え去り、その辺のどの家にも置いてありそうな金色の「ありがちな仏壇」がそこにはあった。
 
 えええー!もったいねー!
 
 「いくらくらい?いくら取られたのよこれ」
 妻が義父に詰問を始める。
 怖い、そっから先は聞きたくない…。
 「120万ほどだったかのう」
 
 『価値観の違い』という言葉は、相手との認識の差をその原因も含めて一言で言い尽くせる便利な言葉である。
 今日ほどその言葉の価値を噛み締めた日はなかったように思う。
 
 どうも、この集落の家々を、暮れにかけて仏壇修理業者が総当りで訪問販売に歩いたらしい。こんな田舎だから仏壇なんてどの家にもある。大抵はその金額にビビってお断りするところ、こと自分の家屋などには見栄っ張りな義父が飛びついたようだ。
 JAも仏壇修理の仲介をするらしいのだが、そちらは200万円超えが普通だと以前聞いていたので、それに比べれば安いじゃないかというのが義父の言い分だった。妻が即座に「ならJAとその業者から相見積り取ったのよね。見せなさい」と問い詰めると、「いやそれは聞いた話なので…」と答えに窮する義父。
 金なら義父の懐から出るものだし、そもそも他人の財産など自分には関係がないと思っている俺にすれば、妻がいきり立つのはどうでもよい話だ。義父にすれば、婿も来たし余裕がある間に古びたよしなしごとを少しずつ直していきたいと考えてのことなのだろうと思う。
 ただ、あの長い年月の経過で醸し出されていた迫力をもう見ることができなくなったのは、本当に残念の一言に尽きる。