述懐。

 しかし、こうして見ると、今まで車の事を何も知らなかったのだなとつくづく思う。
 20代の頃、車に熱を上げる連中の事を今で言うところのDQNと軽蔑していた自分がいた。金も掛からず手も掛からない(掛ける所がそもそも存在しない)ファミリーカーで安全走行・低燃費で走る事、車をあくまで移動手段と見なす事が善良な市民である条件だと無碍に思い込もうとしていたところがある。
 対照的に弟は最初の車がスカイラインGTS-tだった。学校出立てのクソガキが親の資金を当てにして買うのだからあまり贅沢は言えず中古のATだったが、乗って踏めばターボエンジンがひねり出す加速は私の中古カリーナなど軽4のごとく思えるものだった。
 当然足回りや外装にも随分と手を入れ、同じくシルビアやスープラを乗り回す連中と峠道に出かけては走り屋のマネごとをした。何度も事故を起こしては両親の嘆きのタネを作り、その都度修理代の工面に悩んでいた。
 その後何年かしてふっと憑き物が落ちたように興味を失い、気が付けばスカイラインはいつの間にか1.5Lのファミリーセダンに代わった。
 今、弟に聞くと「十分だった」と言う。「それでクルマに満足した」のだと。あの後、弟が車にしている事と言えば、夏冬のタイヤ交換と割安なガソリンスタンドを探す事だけだ。一緒に走り込んでいた他の連中も、今ではそれぞれの新しい家族のためにミニバンを買い、チャイルドシートの費用に悩んでいるらしい。
 翻って私は、この歳になってようやく乗りやすさと走りの楽しさが欲しいと思い、弟が中古のスカイラインにつぎ込んだよりさらに多額の資金を投入してLクラスワゴンを買ったわけだが、いざその乗りやすさを追い求める時に何をすればいいのか皆目見当がつかない有様だ。今さら車にチューニングなどと逸るような歳ではない。
 結局私は、自分が逃した時間と体験の代償を、カネで買おうとしたのだろうか。それで埋め合わせができるのかどうか、今の私にはわからない。