床屋での会話。

 悪天候を突いて、学生時代から通っている馴染みの床屋へ。
 18時頃ついたが今日最後の客になった。
 店のマスターと選挙の話やら談合の話やらしていたのだが、店内のテレビで流れていた定年後の夫婦がそば屋を始める番組を見ていて食べ物の話になった。
 『ああいう、ただのそばのくせに変にこじゃれて一皿1,000円も取られるようなもの、よく食う気になるもんだ』
 「まぁよくありますよね、何か亭主の思いとか趣向とかを強制されるような蕎麦屋って」
 『だろ、そもそも蕎麦なんて、店にばっと入ってずずっと喰って、ちゃりんと金払って出られるようじゃないといかん』
 「理想は駅の立ち食い蕎麦ですよね」
 『そうだよ気取って食うもんじゃないんだよ、ありゃファストフードなんだから。それを食通めいた連中に食わすために無駄に単価上げやがって』
 このマスターこそ実は自称食通で、日本海側の民宿料理やらの話をさせたら小一時間は潰れる。たしか調理師免許を持っていて、身内がやってる小料理屋の調理も引き受けたりしているはずだ。
 『そういや寿司だって、回転寿司が出てくるまではお前みたいな年代の奴が好き好んで店に入って喰えるもんじゃなかっただろ?でも寿司って昔はファストフードだったんだぜ』
 「土門拳の写真集にありましたよ、昭和初期の大阪の露天寿司」
 『おお、そういうのが本来の寿司だよ。それが素材がどうたら職人の腕がどうたら言ってる間に客単価がウン万円の業界だよ。あれもおかしい』
 「自分とかは回らない寿司っていったらウン万円ていうのが普通だと思いますけど」
 『そういう時代しか知らないからだろ?逆に回転寿司ならウン万円て普通か?』
 「いえ。だけど回らない寿司と回転寿司っていろんな意味で隔絶してますよね。こないだ100円均一で有名な店に行ってマグロ食べたら口に入れた瞬間エグ味で吐きそうになったし」
 『阿呆かお前は。回転寿司行ってマグロ食う奴がどこにおるか』
 「えっ。だって『店にばっと入ってずずっと喰って、ちゃりんと金払って出られる』のが本当の寿司屋って話になるんじゃないんですか?」
 『違うわい。俺が回転寿司に行って食うのは変り種の奴だけと決めとる。焼肉カルビとか、アボカドとか天ぷら載せとか。回転寿司行って素材に依存するネタ食うのはバカのやる事だろ』
 「寿司って素材に依存するじゃないですか」
 『そういうのは回らない寿司に任せておけ』
 
 …結局、今夜の晩御飯はくら寿司でした。
 もちろん、変り種を中心に食べましたよ。