酒は飲んでも飲まれるな。

 今日は仕事納めの後、D君が幹事となって忘年会が開催された。
 先々週の末、Hさんから「Dさんに任せといたらいつまでも予定立てなくて絶対やばいっすよ」とご注進を受け、彼女にほぼ段取りを任せる形で会場となる小料理屋を予約しD君に事後報告させていた。D君もやや思うところがあったようだが、課長から別に催促も受けていたようで結局そのまま開催の運びとなったものだ。
 その小料理屋は俺が病院にいた頃から頻繁に利用していた店で料理は全く素晴らしい。雰囲気もよく、宴席はとても楽しいものとなった。
 課長とHさんはくじ引きで同じテーブルを囲んでいた。住む地区が同じなのでとても関係がよく、お互いに好きなアルコールを勧めながら楽しく話している。その席には当課で酒豪と呼ばれる面々が揃っていた。俺はKさん・M姐さんに挟まれる形で、D君が準備していた参加者対抗クイズトーナメントに興じていた。
 俺はハンドルキーパーを引き受けるとD君に伝えて全く飲まずにいたので、何だか怪しい空気には早めに気付いた。
 課長達のテーブルでは課長が持ち込んだ日本酒に、誰かがオーダしたワインボトルが並び既に半分が空いた状態だった。
 クイズゲームは俺とHさんの決勝戦となり、お互いに渡された回答用のバトンを握りしめる。Hさんはその時まだ立って俺の煽りに答えていたが、何だかはしゃぎ過ぎてバトンをブンブンと振り回していた。
 結局クイズは俺の勝ちとなり、上座に上がり好きな景品を選ぶよう案内された。やたら巨大な箱やら既に中身が見えるような小袋など人数分の景品からどれが良いか選びかねていると、背後からバトンで殴られた。
 Hさんである。
 「早く!早く選んで下さいよ!うしろってかアタシがつかえてんすよ!」
 「俺もさっき聞いたんだけど、お前が今殴ってんのってなんかお前の上司らしいぜ?」
 「違いますよ!殴ってませんよ催促ですよさいそく!」
 一気に酔いが回ったようで目が座っている。
 司会者に彼女を任せて自席に戻ったが、Hさんは飲みかけのグラスを掴んで次は課長の背中を力任せにひっぱたいていた。
 
 間もなく一次会はお開きとなった。俺はブリットに二次会参加希望者を乗せて移動した。ところが二次会場になったラウンジは幹事からの連絡に不備があり、入店予定人数が不足して俺がママに文句を言われてしまった。
 人数を再確認するためD君に電話したが出ない。それどころか30分近く待っても課長のテーブルにいた者達はやってくる気配がない。
 「ねぇ、アンタ常連だからアレだけど、人数も違うし予約時刻になっても来ないし、ちょっと幹事君に言ってくれない?」
 「ええ、それが電話に出ないんだよねぇ…」
 5回目くらいだったかの掛け直しと同時にやっとD君が現れた。その後から姿を見せたHさんは、先行組の我々に笑顔と共にガッツポーズをしてからホールを歩いてボックス席に入ってきた。
 そして俺の近くに着席すると同時に床に向けて倒れ込んだ。
 それを遠くから見ていたI君がさらりと言った。
 「さっきゲロ吐きかけてましたよ」
 おいおい。
 「大丈夫かH!聞こえるかH!」
 居合わせた客の大音量のカラオケに抗しながら彼女に声を掛けたがほとんど反応がない。急性アルコール中毒が怖いので、最悪救急車を呼ぶか、ブリットに乗せて総合病院の救急外来に走ろうとD君に目配せしたが、D君も酔ってカラオケのオーダを入れるのに夢中だった。
 俺と同様にハンドルキーパーを引き受けていたNさんがHさんに付き添って介抱をしてくれた。いつの間にか床に滑り落ちたHさんをNさんが抱えて声掛けを続ける。
 間もなく「やばい、トイレ開いてる?」とNさんが叫ぶ。口を抑えたHさんがゆらりと立ち上がる…正確にはNさんにしがみついて、トイレに連行されて行った。
 それからかなり長い時間が経ったが、Hさんは戻ってこない。他の客からトイレが使えないと文句が出始め、何となく空気が悪くなる。
 トイレ内に付き添っているNさんに「もし出られそうなら家に送りましょう」と提案すると「まだ大丈夫って本人は言ってるけど、吐かせ切るまでどうにもならないわ。…それより、ゲロでトイレ詰まっちゃったんだけど」と残念な答えが返ってきた。
 それを近くで聞いた課長が「俺は酔っ払って自宅のトイレを詰まらせて嫁に怒らられるんで自分でトイレ詰まりを直せるんだ。任せておけ!」と入っていった。
 入れ替わりにHさんが色白な顔から血の気を引いた死人の表情で出てきた。元の席に戻ってきたが、やはりきちんと座れずに床に落ちる。Nさんはトイレが空き次第飛び込めるようHさんを抱えている。
 やっと事態を把握したD君とHさんを帰宅させる段取りを始めたが、それを聞いたHさんは、何とD君を土足で蹴りつけ始めたのだった。
 「痛い痛い!Hさんスカートからパンツ見えるから止めて!」
 D君のスーツにHさんのエナメルのブーツが叩き込まれる。
 「こら止めなさい!危ないから!」
 そう言った俺に矛先が変わった。ドカドカとマンガみたいにヤクザキックを食らわせてくるHさん。
 こいつとんでもない大トラだ。
 「きゃー、アタシ若い子のパンツ見るの大好き!」
 M姐さんがメチャクチャな事を言いながら本当にスカートを捲りに来たので押し留める。Nさんはもう少し吐かせないときっと乗せた車の中でまた吐くから、もう少し待ちましょうと言う。もうHさんは自分で立つことができなかった。その癖、俺かD君が何かしゃべると蹴りを入れてくるので閉口である。
 それにしても課長がトイレから出てこない。ママが「トイレどうしたの?もしかして詰まらせたんじゃないでしょうね?」と睨んでくるので、いやぁどうでしょうねとごまかしながら様子を見に行くと、課長は狭いトイレで悪戦苦闘していた。
 何が悲しくて、課長ともあろう人が忘年会の飲み屋でトイレ掃除をさせられるのだ。
 「課長、俺代わりますから席に戻ってくださいよ」
 「ああ?まぁもうちょっとだから構わん、気にするな」
 何と出来た人だろう。
 その辺にあったトイレ掃除用の雑巾で拭き掃除だけはさせてもらった。

 間もなくNさんのワンボックス車にHさんを乗せて自宅に送り届けることになった。時刻は23時過ぎ。Nさんが車を持ってくる間、HさんはD君に抱えられて路上に座り込みながら、時折思い出したように嘔吐する。
 後部座席にM姐さんも同乗して出発しようとしたが、車内から「Hさんの家ってどこ!?」と悲鳴が響く。ちょうど今日の午前、Hさんを同伴して外回りした際にHさんの自宅近くを通っていたので道案内のため俺も同乗することになった。
 何とか間違えずにHさんの自宅にたどり着いた。
 HさんをM姐さんと一緒に降ろして玄関まで連れて行く。見慣れた家の灯りを見たHさんは途中から自力で歩き始めたが、玄関のドアを開けたものの、入って閉めた瞬間に内側からドアに倒れ込む。
 Hさんの母が騒ぎに気付いて助けに来てくれたが、Hさんはそれも気にする余裕がなかったようで、フラフラと家の中に消えていった。その直後にもう一度人が倒れるような音が聞こえてきた。
 Hさんの母は何度も「ご迷惑をおかけして本当に申し訳ありません」と頭を下げられたので、こちらも遅い時刻まで連れ回したことを謝罪して、辞した。

 Nさんのワンボックス車を調べると、Hさんが嘔吐した跡が見つかった。同乗したM姐さんも泥酔していて嘔吐したことに気付いていなかったのだった。
 Nさんは大迷惑である。
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 俺はその後、三次会でフラフラになったM姐さんに日本酒をグラス一杯分ぶっかけられ、最後にこの人を自宅に送り届けて帰宅できた。
 着いたのは03時過ぎだった。